2006/08/29

排泄について

(顔'sクラブ06年3月号より抜粋)
 
まずお断りをしておく。今回は、汚い話になる。潔癖症の人、つい臭いものにはふたをしたくなる人がいたならば、読まないほうが懸命である。もしあなたが森高千里さんならば、読まないほうがいい。なぜなら、テーマが排泄だからである。排泄、つまりは便をする行為。人間生きていくうえで、非常に大切な行為なのだ。正直、このテーマを書くかどうか悩んだ。もろにシモネタになってしまうから。しかし、俺は伝えなければならない。なぜなら、俺は県内屈指の代弁(大便)者なのだから・・・。

生き物はなぜ排泄をするのだろうか。私は、3つの理由があると考える。

まず第一に、食を取るからである。入りがあれば、それなりの出がある。人体というトンネルを物体が通過している。極上でデリーシャスな食事をとっても、糞になる。世界三代珍味を食べようとも、糞になる。世界三代珍味を含んだ糞であっても、それは世界三代糞にはならない。なぜなら、食道トンネルをくぐって、消化された時点で、人間のエネルギーへ変換され、珍味の価値がなくなってしまうからだろう。まあ、第一の理由は、生物が生息する上で基本中の基本の理由である。

第二に、独りになる時間を平等に与えられているからであろう。当然、これは現代に限った話で、昔はかわらで連れ便をしていたと想像する。「これ、拙者に尻をむけるでない!」などという会話がかわらでかわされていたことだろう。しかし現代社会において、女子は勿論だが、男子であっても、大をするときは独りぼっちだ。孤独の中に身をおくことで、そして実をすることで、何かを思うはずである。トイレで考え事をするという人も、決して少なくはないはずだ。

第三に、排泄の臭いを通して、この臭いモノの生産者は、お前なんだよ、と定期的に人間にダメージを与えるためではないか。特に人間は調子にのりやすい。天狗になる、有頂天、いろいろな言葉があるが、それらの言葉は全て人間へ向けての言葉。「鈴木さん家の猫、最近天狗になってるらしいわよ。」などと近所の井戸端会議で聞いたためしがない。当然である。

ということで、漠然と便をするだけでは能が無い。皆さんも排泄行為の意義を正しく理解し、貴重な独りの時間を有効的に活用していこうではないか。ちなみに私は、排泄中にメールを打つことが多い。時代は変わった。でもやはり長柄族ではいけないね。妄想だ、そして想像だ。いい想像・思考をしながら、臭くない排泄を心がけていこうではないか!

最後に、排泄にまつわる俺の数々の伝説をここに記す。排泄の歴史、ここにあり。甘酸っぱい、ノン、ノン、臭い思い出ばかりだ。

・伝説1 エクスカリバー事件
会社のトイレで、大をした後、ポッケから車の鍵が便器の中に落ちた。その際、鍵が便につき刺さったという事件。山の頂に聖剣を突き刺した気がした。(1998年頃)

・伝説2 日の丸事件
体調不良で、用をたした後、お尻を拭いたら、中央に日輪が咲いた事件。それはただの下血の跡であった。すかさず座薬のお世話になったことは言うまでもない。(2004年頃)

・伝説3 唇美人事件
伝説2同様、お尻を拭いたら、キスマークのような跡になった。しかも唇美人系。奇跡は、小さな日常にも転がっているんだなぁ。(2005年)
   

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