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2010/01/03

たいぞーがゆく(7)〜松ケ岡公園

  
新年一発目の日記ですね。

明けましておめでとうございます!!!
今年も恐縮です♪

というわけでございまして、2010年第1回目のブログは、「たいぞーがいく」になりました。

「たいぞーがいく」とは、歴史の名所(特にお城・お城跡)に出向いて、歴史を感じる企画でございます。
何と前回の江戸城から1年以上ぶりのコーナーとなりました。ホント、お久しぶりねの小柳ルミ子でございます。

さてさて。今回訪れた場所は、かみさんの実家・いわき市。
08年3月に、磐城平城跡を彷徨い、結局、城跡らしき場所を発見できずに残念な思いだけが心の片隅に残っておりましたが、今回はそのリベンジ!!
http://tigerjettaizo.blogspot.com/2008/03/blog-post_29.html

いわき市に長年住んでいたかみさんの助言があれば大丈夫。残念ながら歴史にはまったく興味なし。「奥羽越列藩同盟? 何それ?」といった感じだが、地理には詳しいはずです。

さらに今回は、大河ドラマ「篤姫」を観ていた時に、番組の終わりにやる歴史名所を紹介するショートコーナーに「いわき市」が紹介されていたのをメモっておいたのであります!! 

平藩主「安藤信正公」の銅像がある公園の名前が「松ケ岡公園」であるということを!! 桜で有名な公園らしいっす。

場所はいわき駅より西の方向。前回迷った場所とはまったく関係なし。
かみさんの運転にて、無事に公園に到着。駅から車で2〜3分の場所でした。

パーキングに止めて歩いて公園の頂上を目指すこと3分。

おりました! おりました!
安藤信正公が!!!

それにしてもデカイ銅像でした。

この像が立っている所は、戊辰戦争時に平藩が西軍に抗戦した場所のようで、砲台が置かれていたようです。

公園からは、いわき駅前を一望でき、前回見た景色とはちょっと違っていました。確かにこの公園の背後には平城跡があります。ここが最後の砦だったことを地理上から感じることができました。

08年3月、そして今回と、実際にその土地の地形を感じたり、景色を眺めたりすることで当時を想像することができました。まさに、これが歴史の地を踏むことの醍醐味だと思います。

次回の「たいぞーがいく」は、どこになるかはまったくの未定。

子供たちをいわきの実家の近くでベビーカーを乗せてみましたが、これでは城は登れまい!! 彼らが歩きだすのを待って、さらに彼らの足腰を鍛えることにしましょう。

まあ、親の趣味を押し付けるのも可哀想ですね。レジャーの延長で歴史に興味を持ってくれたらこれ幸いです。
  

2008/11/14

たいぞーがゆく(6)〜江戸城跡

 
レーシック検査の合間に「江戸城」にも行ってきました!

初の江戸城見学!!

家康が居城をここに構えてから300年。
それから、無血開城があり(今年の大河ドラマ「篤姫」ではそろそろでしょうか?)、東京大空襲があり・・・。

この城は、戦国以降の歴史には、欠かせないお城でありましょう!!


とはいっても、時間の都合上、入口付近(二重橋)と桜田門に行ったのみです。

桜田門では、二つの門の間で、記念撮影!!
「門と門の間で、桜田門中の写真だぜ!」なんて喜んでいると、ジョギング中のジミー大西さんが後ろを通り過ぎていきました。
小心者なんで、「やってる?」なんて聞けませんでしたが・・・。

「桜田門中の変」といえるでしょうか。

江戸城、もう少し勉強してから行くべきでした。
次回は、坂下門に行ってみます!
 

2008/11/06

たいぞーがゆく(5)〜鶴ヶ城

  
鶴ヶ城に初めて行ったのは、確か小学3〜4年生の頃の遠足だったかな。
会津の家紋の入った「木刀」を購入した記憶がうっすらあります。

あれから25年以上経ちますが、その間、4回は来ています。
そうなると、今回(11/3)は6回目???(いや5回目かな)


いや〜鶴ヶ城は、福島県を代表する、いや日本を代表する名城です!!!
何度来ても、天守閣から見る景色は美し過ぎますね。
最近、行った白石城や金沢城とは比べられないです。金沢城ほど巨大ではないですが、適度な広さと言いますかね〜充分広いかもしれませんが。

幕末のことに興味を持ったのが、ここ3〜4年なんで、戊辰戦争の時代を意識して城を見るのは今回で2回目。
以前は、学生時代に読んでいた漫画「キン肉マン」の中で、王位争奪戦のリングとして戦いがあったお城というイメージしかありませんでした。
(フェニックスチームの先鋒マンモスマンが、ビッグ・ザ・ボディチームの超人を4人抜き!!。 漫画の世界じゃないかぁい〜!!)

しかし、歴史を学ぶということは大変いいことで、鶴ヶ城に対する気持ちはいい意味でガラリと変わりました。

最近では、TBSのクイズ番組で「糞尿問題」がありました。
あの事件で会津人でもない自分が怒りを覚えたのは、郷土愛からなのでしょうか?

さて、今回の鶴ヶ城訪問。
目的は「御宸翰」と「泣血氈」でした。

企画として「明治戊辰 百四十年展」(平成20年9月20日〜11月16日)が開かれており、その中で上の2つが展示されておりました。

藩主容保公が孝明天皇より賜ったといわれる「御宸翰」。幕末ドラマ「白虎隊」では西郷頼母が持って函館へ向かいましたね・・・。

原文は何が書いているのか、わかりませんが、訳を拝見すると当時の容保公の信用度ははかりしれないものだったのでしょう。展示品は本物かどうかわかりませんが、生で見る感動、これからも大事にしていきたいです。

「泣血氈」、会津の怨念がつまった敷布。しかし、最近は本を読んでいると、降伏の式の時を取り仕切った中村半次郎にも最近は興味を覚えます。彼の男泣きを堪えながらの対応は、会津サイドからも賞賛を浴びたとか・・・。
人きり半次郎なんて言われていますが、実際に人を切った記録も1人しかいないようです(充分ですね・・・現代ならば)。
この「泣血氈」を見たら、何だか時間が止まったようで、呆然としてしまいました。

それにしても、こんなに素晴らしい企画展だったのですが、鶴ヶ城に到着したのが16時過ぎだったので、ゆっくりと見ることができなくて非常に残念でなりませんでした。(見学時間は17時まで)

郡山から車で1時間ちょいなので、近々またゆっくりと、きちんと計画を立てて来ようと思っております。

 

2008/08/18

石川旅行記〜金沢編 /たいぞーがゆく(4)〜金沢城

 
というわけで、金沢編(14日夜〜15日)です。

宿泊先は、金沢が本社の「アパホテル」というビジネスホテルに泊まりました。

いろいろ問題を起こしているホテルではありますが、とにかく安かったので、ここにしたのです(1人:3500円・駐車場・朝飯付き)。
とはいえ、やはりとても狭い部屋でした。
次回来るなら、和倉温泉あたりで、ゆっくりしたいものですね。


旅先では、当然早起きということで、8時にはホテルを出て、まずは「妙立寺」へ向かいました。

通称忍者寺。忍者といっても、伊賀・甲賀の忍者ではなく、仕掛け・細工が多いところから、そういう名が付けられたようです。

前田家三代目当主が金沢城の出城として作られた寺。
当時は、お城以外の3階建て以上の建造物は、幕府が認めていなかったそうで、この妙立寺は外見は2階建ての作りになっているのですが、実際は4階建ての作り。
至るところに隠し階段やら、扉などがあり、ひとりで入ったら、迷子状態になることでしょう。迷路そのものでした!

ガイドの話と実際の建物を見て、敵が攻めてきた場合に、様々な細工が仕掛けられていることを知りました。
特に印象的だったのは、以下の2つです。

・本堂裏隠し階段・・・廊下の床板をはずすと階段が現れる。この床板を入れ、敷居をおいて物置の戸を閉めると錠となる。
・二枚戸・・・二枚の戸が全く違う出口に通じ、戸の開閉でそれぞれの出口を隠すことになる。
(参考:妙立寺Webサイトより)

改めて思ったのですが、昔の日本人は賢いなぁ〜と!!!
こういった所を後世へ継承していかなければならないのでしょうね。

それに比べて、周りの観光客を見てみると愕然としてしまいます。みんなではありませんが、自分の事しか考えていない行動が目立ちます。
車の運転なんて、如実に現れますよね、その人の本性が・・・。急な割り込み、スピードの出し過ぎ、窓からのポイ捨てなどなど。
完全に話が逸れましたが、旅先だと余計に痛感しました(メリケンでもそうでしたね)。

とにかく妙立寺、金沢観光では必見でしょう! 
観るには電話での事前予約が必要です。


次に向かったのは、金沢城。

とにかく暑かったのなんの、南野陽子でした。
とりあえず、金沢城門近くの前田利家像の前にて、「槍の又左」のポーズ!!(タイガーたいぞー妄想Version)

しかし、広い公園でした。俺が行ったことのあるお城では、最も広い城でした。城内を一周しただけで、3〜4kmは歩いたはずです。

いざ、城内へ。

ここでも、古きよき日本文化に触れることができ、大感動!

それは、伝統木造工法。釘などを一切使用せず、木のパーツをはめ込んでいくというもの。詳しくはよくわかりませんので書けませんが、城内で見たVTRがとてもわかりやすく解説してくれていました。

金沢城も復元された城ですが、その伝統工法を屈指して、建てられたようです。やっぱり、日本人っていいですね!!

それから、城外の大手堀、尾崎神社をまわって、21世紀美術館へ。
凄い人・人・人・・・なので、早めに兼六園へ行くことに。

兼六園のパンフを読んでいると、白河3代藩主「松平定信」が兼六園を命名したとか。いきなりテンションが上がりましたね!
しかし、隣の嫁を見ると、テンションは低め。とりえず、昼飯に冷やしうどんを食べさせたら、復活してくれたのでひと安心・・・。根性だそうぜぃ!!

最後の目的地は、松井秀喜の故郷「根上町(ねあがりまち)現:能美市」へ。

金沢市から南へ20kmの所にある小松インターで高速を降りました。

インターを降り、すぐに見えてきた「松井秀喜ベースボール・ミュージアム」。
すると、松井の銅像が俺たちをお出迎え!!
俺も松井選手とツーショット写真を撮影!
(俺の方が顔が大きいぜ! メジャー級だぜぃ!!!!)

驚いたのは、松井の幼い頃のビデオが流れていたこと。
ホームビデオかい!!! 俺より1歳下なだけなのに、松井さん、かなり裕福な家庭に育ったのね。あんなに素直な方なのも納得です。

いち早く、松井の復活を願うばかりです。

17時には小松インターから郡山へ。5時間かけて戻ってきました。

帰りの富山県内では突然の雷雨で、目の前で鉄塔に雷が落ちる瞬間を目の当たりにしました。集中豪雨で運転してて前が見えなかったのは恐かったですわ。

改めて振り返ると、金沢市、とても素晴らしい市でした。地元の文化を市民が愛していて、駅前周辺は賑わいを見せている。新潟市くらいの人口(80 万人)がいるのかなと調べたら、約40万人。郡山市(30万人)とほとんど大差はないのに、この差は何なんでしょう? それでも地元は好きですけ ど・・・。

やはり、地元人が共有して愛することができる何かが必要だと感じました。
そう、金沢人が「兼六園」を愛しているように・・・。

これも勝手な俺の妄想かもしれませんね。
 

2008/04/13

たいぞーがゆく(3)~白石城

  
昨日4/12、白石方面に用事があったので、せっかくだから「白石城」へ足を運んできました。

白石城、今の私にとって、旬なお城です。

なぜならば・・・

 1.伊達政宗の忠臣「片倉小十郎」の居城
 2.幕末維新時、奥羽越列藩同盟が締結された場所 だからです。

今観ている『独眼竜政宗』は、Disc7まで観ました。まだ小田原攻めが終わった辺りで、政宗も仙台に行くのはまだ先の話。よって、片倉小十郎も白石城にはいません。
なので、政宗DVDが早く観たくてたまらないのです。

しかし残念ながら、桑野のTUTAYAに行けば、Disc1、2以外は全て借りられているし、イオンタウンのTUTAYAに行けば、DISC7ま でしか置いていなかったのですよ!(借りられていたのではなく、DISC1~7までしか置いてなかった。しかも、それらはすべてレンタル可!)
これは「今は観てはいけません!」という神のお告げなのでしょうか? なんでや~???

さて、本題の白石城。

かなり熱い気持ちになりました!!

その理由は、この「たいぞーがゆく」のコーナー、第1回、2回とやってきましたが、いずれも城跡というだけで、実際の城は見ることができずで、3回目にしてようやくお城を見て、さらに中に入ることができたからでしょう!!! 
第2回なんて、近所を散歩しただけだったですし。。。

これはもう、エクスタシー全開です♪

この白石城、平成7年に復元されたもの。今日本にあるお城は、ほとんど復元。これは仕方がないですが、しかし、この白石城は、木造によって復元されたという所が非常に興味深いです。
なので、300円を払って城内に入ると、木の匂いがプン・プン・プン(c:さとう玉緒)です♪

城内は3階まであり、展望台はそれほど高くはありませんが、周辺の公園に咲く桜花の美しさは圧巻です。しばし時間が止まったかのようです。
(その木の下で、酒を飲んでいる市民は景観を損ねますが・・・。)


城を出る際には、仙台藩家老の格好が出来るコーナーがあり、俺も速攻で着させてもらいました。写真がそれです。しかし顔がデカイ・・・。自分でもうんざり、ガッカリです。痩せなければ・・・。

刀を握った瞬間に、学生時代を思い出し、思わず「送りバンド」を・・・。なんでやねん。
ちなみに、イメージは巨人の河野和正(背番号5)さん。

それにしてもこの白石。歴史探訪ミュージアム(奥羽越列藩同盟、大阪夏の陣の2本の計1時間番組が観れるところ)や小関家武家屋敷、片倉家御廟な ど、白石城以外にもたくさんの見所があります。今回はお城しか行けませんでしたが、歴史好きの方であれば、かなり満喫できる場所であることは間違いないで しょう。

次回は「奥羽越列藩同盟」のことをもっと勉強して、時間をかけて来てみたいと思いました。
 

2008/04/10

たいぞーがゆく(2)~郡山城

 
郡山城と言っても、奈良の大和郡山城ではありません。。。
郡山関連で検索すると、奈良県の郡山だったりすること、よくありますよね。私だけでしょうか?

今回は、実家から歩いて数分の場所にあったとされる「郡山城跡」へ。
と行っても、探検に出かけたのは、3月30日(日)のことですが・・・。

なぜ郡山城に行こうかと思ったか? それは、大河ドラマ『独眼流政宗』を観ていて、芦名攻めの前に、伊達軍が郡山城を落としたという話が、わずかながら登場し、「え? 郡山城って、すぐそこじゃないの」、ってことになったのです。

俺  「ひらたいら、今、暇? 郡山城跡行かない?」
ひらたいら 「お、いいねぇ~。行く行く!」

ということでひらたいらさんを誘って、近所の城跡へ行くことになりました。
おっさん2人による小冒険の始まりです♪

思い出すと小学生の時は、そんなことも考えず、郡山城跡で遊んでいましたね。
※ちなみにひらたいらとは、小学校1年~6年まですべて同じクラス(だったらしい)。仲は昔より、大人になってからのほうが親密だったりします。

当時、幽霊屋敷がある、なんて噂があって、気の合う仲間5~7人で、幽霊屋敷へ行ってみると平屋があっただけ。でも夕方薄暗い時間帯ということもあり、かなり怖かった記憶があります。しかし今はというと・・・

さら地になってしまいました。ここは分譲地なのかな!?(写真1)

そして、一丁坂へ。
ここでは、勇気ある戦士達がミニ・スキーで遊んでいた場所です。今はすっかり舗装の階段になってしまって。悔しいです(写真2)。

最後に、忘れもしないエログランド。郡山城跡近くの広場で草野球をしていると、広場に面したアパートの若い男女が裸でじゃれあっていたのです。今思えば、あれは学生だったのかな。
我々小学生4年生くらいだったので、ポカーンとしてしまいました。

すると事件は起きました。

「ぶちゅ~~~!」 衝撃の接吻タイム。

おいおい、小学生のボク達には、ちょっと刺激が強すぎるぞい!

懐かしいナァ~。ひらたいらさんとはそんな話で城跡を冒険しました。
写真3は、「注意!」の看板を激写するひらたいらさんを俺が激写してみました!

おっと!!
郡山城の話はいずこへ~~<(T T)>
想い出話ばかりになってしまった。なんてこったぁ~。
このコーナーの趣旨って、いったい・・・!!??


まあ、詳しい話は、以下のサイトが参考になりそうです♪

■さくらとおしろ
http://www.asahi-net.or.jp/~ds6s-wtnb/oshiro/kaisetsu/fukushimaken/c_kooriyama01.htm


そして最後に、今回使用した写真は、すべて「幕末古写真ジェネレーター」さんのサイトで、変換させていただいたものを添付してみました。
なんか雰囲気でていますね・・・って、郡山城があったのは、戦国時代だったわぁ~!
写真すらないぜぃ~。

こりゃまた、失礼しました(笑)

■幕末古写真ジェネレーター
http://labs.wanokoto.jp/olds
 

2008/03/29

たいぞーがゆく(1)~磐城平城

  
そういうわけで始まりました、新コーナー。
「たいぞーがゆく」でございます!

決して100円ショップで買い物をしてくるコーナーではありません。
「えっ、これも100円なの!! すごい~!! 驚き、桃の木、轟二郎!」
(それは「ダイソーにゆく」です!とセルフ突っ込みをしてみました)。

このコーナーは、今後、私・タイガーたいぞーが、お城または城跡を訪ねて、あーでもねー、こーでもねーと言う企画。ちなみにタイトルは司馬遼太郎先生の『街道をゆく』をパクっています。
司馬さんのように大連載にならないとは思いますが、地道に続けてみたいと思います。


で、第1回は、何と「磐城平城(跡)」!!
なぜ記念すべき第1回が磐城平城になったかと言いますと、22日、試験のためにいわきに行ったからであります。何と浅い理由だこと。我ながらサプライズです(使い方を間違えたかな!?)

幕末に興味を持って、まだ5年未満の私。
星亮一先生もおっしゃっていましたが、自分の足で歴史に触れるのが一番!
そう思って、行動することにしました! 予算もないので、まずは近場から。
東北の歴史は敗者の歴史・・・。おごらずに謙虚な姿勢。敗者だからというわけではありませんが、最近、特に大切に考えていること、それが「謙虚さ」です。
下山アニキもおっしゃっていましたしね。


<<たいぞーがゆく(1)~磐城平城>>

■08年3月22日(土) 晴れ

平駅に到着した。
駅が見るも無残に破壊されていた。俺は体の震えが止まらなくなった・・・。
まさか薩長の仕業か!?

冗談はさておき、オカゴリ情報によると、平城跡は駅裏にあると言う。

平駅は南から北の路線かと思っていたが、実は西から東に走っていることに気がつく。
ということは、駅の南側が繁華街で、北側がお城ということだ。

破壊された駅の通路を抜けて、俺は駅裏へ向かう。
ちなみに今の平駅にはトイレはない。改札の向こうにはあるが、トイレは貸してくれないらしい。140円払って下さいと駅員は言う。トイレにお金を取るとは・・・ここは、「欧米かぁ~!!」
駅員は自分がサービスマンであることをわかっていないらしい。大丈夫か、わが国・ジャポン!
 
そんな駅を抜け、橋を渡って目に飛び込んできた景色は、山のみ!!
中学の同級生、サイドスローの憎い奴・「山さん」のことを思い出す(関係ないぞ)。

そして銅像らしきものが俺を迎え入れる。早速、行って見てみると・・・

「鈴木辰三郎 像」。

誰? 

元平市長とある。
とにかく俺を歓迎してくれた最初のひとりだ。無げにもできまい(何様? 謙虚はいずこ)。

銅像脇に小道があったので、俺はそこを登ってみることにした。
きっと先には城跡があることを信じて・・・。

ここは、一般人が登ってはいけない場所なのでは?、と正直不安になるほど険しい道。中年体にムチを打って、はぁはぁ言いながら、登っていくと、民家が何軒かあった。

さらに進むと、広い野原が広がっている!

記念碑みたいのがあったので、そこに詳しいことが書いてあるかと思って行ってみると、昭和になってからの何か学校関係の表彰が刻まれていただけ。

本当に、今俺がいるこの場所にお城があったのだろうか??

とりあえず、ここから駅前に向かって写真を撮ることにした。ラトブを激写(なんでやねん)。

ちなみに、この野原、鉄柵に囲まれていた(しかもバラ線付き)。
またも不安になって、この場を後にした。

きっと、城跡であれば、「磐城平城跡」という石碑か何かが必ずあるはず。
そう信じて、俺はさらに北を目指すことに。

しかし、険しい坂道の連続。。。この日は15km近く歩いたことであろう。2時間近く彷徨ったか。今年は仕事と勉強ばかりして運動をほとんどしていないので、かなり堪えた。軟弱ものだな。

住人の方に、「平城跡」の場所を聞いてみたが、「この辺にずっと住んでいるけど、わからないねぇ~」という。 灯台下暗しなのだろうか?

気が付くと、野球とラグビーの名門「磐城高校」にたどり着く。
仙台育英が準優勝する前は、たしか磐城高校だけが決勝に進んだ高校と認識している(結果は準優勝。1971年夏)。グランドでは練習試合が行われていた。おっさんながらに、南ちゃんの気持ちになる。。。「たっちゃん・・・! ファイト!」(なんでやねん2)

今日は諦めて、翌日、改めて仲間の車で行くことにした。

■08年3月23日(日) 晴れ

やはり駅裏は狭い。そして険しい。車で行っても同じこと。でも楽チンだ。
丹後沢公園に車を止め、少し歩くと、昨日侵入した野原が見える。バリケードの外から眺めることができた・・・。

ということは、昨日入った場所は、行ってはいけなかったのだ。
立ちションしなくて良かった・・・って、勿論、どの場所でしてもいけませんよ!!
おしっこするなら、平駅でお願いしますね!(140円かかりますけど・・・しつこいね)
大変、失礼しました。

龍ヶ城美術館の受付で、オカゴリ氏が城跡の場所を訪ねると、やはりこの場所でいいようだ。
説明すると、平城のあった土地は、戦争後、民間の方に売却されたそうである。
なるほど! これですべてが納得である。だから民家が何軒かあったのだ! 入り口には玄関もあったのだ(当たり前だわ)。
いわき市としても、「ここが城跡です!」なんて看板を立てられるはずもないわけだ。
なにせ民間の方の土地なのだから・・・。

やはり自分の足で現地に行って気付くことがたくさんあるということ。
奥羽越列藩同盟に加盟した磐城平藩。敗者の地には、やはり何も残っていないということか。
「う~ん、実にはかない」 (福山まさはる風に) 結末である。

最後に・・・
「いわき市平字旧城跡」・・・この辺りの住所だけが、歴史を感じさせてくれたのである。
  

※左の写真は、明治天皇像(丹後沢公園)。