2008/03/29

たいぞーがゆく(1)~磐城平城

  
そういうわけで始まりました、新コーナー。
「たいぞーがゆく」でございます!

決して100円ショップで買い物をしてくるコーナーではありません。
「えっ、これも100円なの!! すごい~!! 驚き、桃の木、轟二郎!」
(それは「ダイソーにゆく」です!とセルフ突っ込みをしてみました)。

このコーナーは、今後、私・タイガーたいぞーが、お城または城跡を訪ねて、あーでもねー、こーでもねーと言う企画。ちなみにタイトルは司馬遼太郎先生の『街道をゆく』をパクっています。
司馬さんのように大連載にならないとは思いますが、地道に続けてみたいと思います。


で、第1回は、何と「磐城平城(跡)」!!
なぜ記念すべき第1回が磐城平城になったかと言いますと、22日、試験のためにいわきに行ったからであります。何と浅い理由だこと。我ながらサプライズです(使い方を間違えたかな!?)

幕末に興味を持って、まだ5年未満の私。
星亮一先生もおっしゃっていましたが、自分の足で歴史に触れるのが一番!
そう思って、行動することにしました! 予算もないので、まずは近場から。
東北の歴史は敗者の歴史・・・。おごらずに謙虚な姿勢。敗者だからというわけではありませんが、最近、特に大切に考えていること、それが「謙虚さ」です。
下山アニキもおっしゃっていましたしね。


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■08年3月22日(土) 晴れ

平駅に到着した。
駅が見るも無残に破壊されていた。俺は体の震えが止まらなくなった・・・。
まさか薩長の仕業か!?

冗談はさておき、オカゴリ情報によると、平城跡は駅裏にあると言う。

平駅は南から北の路線かと思っていたが、実は西から東に走っていることに気がつく。
ということは、駅の南側が繁華街で、北側がお城ということだ。

破壊された駅の通路を抜けて、俺は駅裏へ向かう。
ちなみに今の平駅にはトイレはない。改札の向こうにはあるが、トイレは貸してくれないらしい。140円払って下さいと駅員は言う。トイレにお金を取るとは・・・ここは、「欧米かぁ~!!」
駅員は自分がサービスマンであることをわかっていないらしい。大丈夫か、わが国・ジャポン!
 
そんな駅を抜け、橋を渡って目に飛び込んできた景色は、山のみ!!
中学の同級生、サイドスローの憎い奴・「山さん」のことを思い出す(関係ないぞ)。

そして銅像らしきものが俺を迎え入れる。早速、行って見てみると・・・

「鈴木辰三郎 像」。

誰? 

元平市長とある。
とにかく俺を歓迎してくれた最初のひとりだ。無げにもできまい(何様? 謙虚はいずこ)。

銅像脇に小道があったので、俺はそこを登ってみることにした。
きっと先には城跡があることを信じて・・・。

ここは、一般人が登ってはいけない場所なのでは?、と正直不安になるほど険しい道。中年体にムチを打って、はぁはぁ言いながら、登っていくと、民家が何軒かあった。

さらに進むと、広い野原が広がっている!

記念碑みたいのがあったので、そこに詳しいことが書いてあるかと思って行ってみると、昭和になってからの何か学校関係の表彰が刻まれていただけ。

本当に、今俺がいるこの場所にお城があったのだろうか??

とりあえず、ここから駅前に向かって写真を撮ることにした。ラトブを激写(なんでやねん)。

ちなみに、この野原、鉄柵に囲まれていた(しかもバラ線付き)。
またも不安になって、この場を後にした。

きっと、城跡であれば、「磐城平城跡」という石碑か何かが必ずあるはず。
そう信じて、俺はさらに北を目指すことに。

しかし、険しい坂道の連続。。。この日は15km近く歩いたことであろう。2時間近く彷徨ったか。今年は仕事と勉強ばかりして運動をほとんどしていないので、かなり堪えた。軟弱ものだな。

住人の方に、「平城跡」の場所を聞いてみたが、「この辺にずっと住んでいるけど、わからないねぇ~」という。 灯台下暗しなのだろうか?

気が付くと、野球とラグビーの名門「磐城高校」にたどり着く。
仙台育英が準優勝する前は、たしか磐城高校だけが決勝に進んだ高校と認識している(結果は準優勝。1971年夏)。グランドでは練習試合が行われていた。おっさんながらに、南ちゃんの気持ちになる。。。「たっちゃん・・・! ファイト!」(なんでやねん2)

今日は諦めて、翌日、改めて仲間の車で行くことにした。

■08年3月23日(日) 晴れ

やはり駅裏は狭い。そして険しい。車で行っても同じこと。でも楽チンだ。
丹後沢公園に車を止め、少し歩くと、昨日侵入した野原が見える。バリケードの外から眺めることができた・・・。

ということは、昨日入った場所は、行ってはいけなかったのだ。
立ちションしなくて良かった・・・って、勿論、どの場所でしてもいけませんよ!!
おしっこするなら、平駅でお願いしますね!(140円かかりますけど・・・しつこいね)
大変、失礼しました。

龍ヶ城美術館の受付で、オカゴリ氏が城跡の場所を訪ねると、やはりこの場所でいいようだ。
説明すると、平城のあった土地は、戦争後、民間の方に売却されたそうである。
なるほど! これですべてが納得である。だから民家が何軒かあったのだ! 入り口には玄関もあったのだ(当たり前だわ)。
いわき市としても、「ここが城跡です!」なんて看板を立てられるはずもないわけだ。
なにせ民間の方の土地なのだから・・・。

やはり自分の足で現地に行って気付くことがたくさんあるということ。
奥羽越列藩同盟に加盟した磐城平藩。敗者の地には、やはり何も残っていないということか。
「う~ん、実にはかない」 (福山まさはる風に) 結末である。

最後に・・・
「いわき市平字旧城跡」・・・この辺りの住所だけが、歴史を感じさせてくれたのである。
  

※左の写真は、明治天皇像(丹後沢公園)。
  

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