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2011/06/11

放射線測定結果(2011/06/11)

今日で、大震災からちょうど3カ月。
近所のTSUTAYAも6/8から再開し、生活は以前と変わりない感じになってきています。
唯一、バンド練習ができるスタジオが市内になくなってしまったことくらいかな!?(左の写真は、現在のKRS)

この3カ月、個人的には、花粉アレルギーから気管支炎という病気にかなり苦しめられました。
今週前半まで、会社でだけ咳が出る症状が続いていましたし(会社内で床や外壁工事が行われてて、埃に反応していただけだったのかもしれません)。

ようやく完治したと言っていいでしょう。
食事や睡眠、お風呂なんかに気を配って、免疫力を高めていく習慣改善の必要性を感じた4~6月でありました。

さて、本題です。

昨日、会社の総務から、小さい子どものいる家庭を中心にということで、線量計を貸してもらえました!

放射能の数値については、毎日、郡山市のWebサイトでチェックしていますが、改めて自宅周辺や保育園はどうなっているんだろうと気になっていたわけです。

6/11だけというピンポイント(点)での測定なんで、どこが高いか、低いかの判定しかできません。本来ならば、馬のパドック検討のように、今回のデキを前走や前々走の状態と比較するのが理想ですが(線で見たい)、贅沢は言いますまい。

測定した結果、結論(私見)。

1:郡山市の測定結果は、真実である(会社で借りた線量計が正常であるという前提で)。自宅周辺は市役所の測定結果と同レベル。
2:車中と外の線量は、ほぼ一緒。窓を無理に閉めても意味なし。
3:公園は危険! 異常に高い。
4:家の中は(木造住宅)、外の約半分(窓際の方が若干高め) 
5:会津方面(大槻)に行けば行くほど、低くなる。
6:鉄筋の高層ビル内は、0に近い。


<<測定結果>> ※単位はマイクロシーベルト/h
・保育園外(高さ1m) 0.7 
・保育園内(高さ0m) 0.5
・職場ビル内(3F) 0.1
・郡山市島・外(高さ1m) 1.0~1.2
・TSUTAYA駐車場(高さ1m) 1.0
・うすい玄関前・外(高さ1m) 1.0
・うすいビル1F内(高さ1m) 0.04
・神田そば内(高さ1m) 0.3~0.4
・自宅1F外(高さ1m) 1.0~1.1
・自宅1F内(高さ1m) 0.5~0.6
・自宅1F内(高さ0m) 0.6
・自宅1F内・窓際(高さ0m) 0.7
・自宅2F内(高さ0m) 0.6
・近所の公園周辺(高さ0m) 2.0~2.1
・近所の公園中心(高さ0m) 2.3~2.5


とまあ、今日の結果は、こんな感じでした。
過剰に反応したくはないですが、自宅内の数値が予想以上に高いのには正直、驚きました。
この数値に関して、自分の力ではどうやっても下げることができません!!
今後も、今までどうよう市のWebで状況を確認していきますが、あまり気にしないでいこうかと。今の自分の人生を楽しむしかないですからね!!!

最初の話に戻りますが、とにかく、家族全員の免疫力を高める。
これしかない! 

と強気に書いても、子ども達が一番心配なんですが。。。

原発の復旧作業で事故がなく、徐々にでいいから、線量が減ってくれていくことを願うばかりです!!

2011/05/19

矢ヶ崎克馬氏講演会~内部被曝を避けるために

 
長引く病気(気管支炎)が私を苦しめます。

もう1ヵ月です。
病院に行った回数3回。点滴1回。

しかし考えました。病気になっている回数は人の何倍もなっているということは、
私が復活(病気→健康)する回数も人の何倍もあるってことじゃないの!!!

しかも、その復活のたびに、健康の大切さを教えられる。
病院代や薬代はその授業料みたいなもんです。

もう「俺は健康体だぁ~!」なんて背伸びしないで、
「僕は虚弱体質なんよ。それでも何度でも立ち上がる!」という考えで行きましょうかね。


というわけで、おとといの話。

いつまでも病気で寝てばかりもいられないので、
そろそろ行動していこうと思い、郡山カルチャーパークで行われた放射能セミナーに参加してきました。

タイトルは、「矢ヶ崎克馬氏講演会~内部被曝を避けるために」。


母はお腹に子どもが宿ってから母になると言われます。
対して父は、産まれてから子どもとの触れ合いを通して、徐々に父親の自覚が出てくると言われます。

まさに私もそうで、わが子ももうすぐ2歳になるのですが、
最近の子どもたちは、いつもニコニコして、意味不明の言葉を話し、とても愛おしくてたまりません。

最近では、「お父さん、どの人?」と聞くと、満面の笑みで私を指さししてくれます。
人の顔に指さす行為は、基本的にはタブーですが、まあご愛嬌ということで・・・。

そんな大切な子どもたちの将来が黄信号であります。ここ福島県では!!!

しかし、自分でコントロールできないものに、感情を激しく揺さぶられても仕方のないこと。
できることをやるしかないのですが、放射能に関する知識など、ほとんどゼロ。

よって、まずは専門家の話を聞くのが一番と思い、講演会に出掛けたわけです。


狭い会場が満員以上になるほど参加者がたくさんおりました。
それだけみんな危機感を感じている証拠。


話のまとめとしては、「内部被曝のほうが怖い」ということ。
国が言っている年間限界被曝量20MmSvは、外部被曝のみを考慮しているという。
しかも数値の引き上げは、政府の都合に合わせてのもの。何を信じていいのやら。

しかし、地元を離れることはできません。
決定打となる打開策は聞けなかったけど、今、我々にできることは、知恵を出して放射能から防護することだけ。


例えば、

1:マスクをする。(小さい子どもは難しいですが)
2:帽子を被る。
3:長袖を着る。帰宅時はマスクをしたまま埃を払ってから家に入る。
4:無駄な外出をしない。
5:野菜を良く洗ってから使う。お湯でゆがけばもっと効果があるそう。
 (ただし野菜が放射能物質を根から吸い上げて内部汚染されているものであれば、廃棄するしかない)
6:日本古来の食物をたくさん採る。(豆、わかめ、昆布など)


最後に、講師の方から、非常にいい言葉をいただきました。
講師が幼い頃はとても貧しく、母一人に育てられたそうです。そんな中、氏が新聞配達に出かける際に母が言ってくれた言葉が「艱難汝を玉にす(かんなんなんじをたまにす)」だったそうです。

人間は苦労を乗り越えていくことで玉が磨かれるように人格が練磨され、立派な人間になるという意味のようです。

とてもいい言葉です。
福島四重苦の苦労を乗り越えるのは簡単ではありませんが、気持ちを強く持って行動していこうと思っています。
 

2011/04/14

余震が続く中、子どもが覚えた言葉とは?

 
前回、余震についてブログを書いて以降、震度5以上の地震が2~3回も体験しました。

もう、勘弁。生きた心地がしません。
どうせなら、江口洋介の歌のように、「夢ゴコチ」でありたいもの。
マニアックネタだったかな!?


子どもたちも、最近、言葉を積極的に発するようになってきていて、
覚えた順に書きますと・・・

「はい!!」

「バイバイ」

「わんわん」


そして、次は、何と・・・

・・

・・

・・

「あ、じしん!」



4番目に覚えた言葉が、「あ、じしん」とは!!!


言いにくい言葉をさっと言ってくれたことは感動なんですが・・・素直に喜べない。

そのフレーズ、積極的に使う日は、ごめんです。





さてさて、余震も怖いですが、さらに季節的に花粉症がひどいです。
今年は、これまでで一番ひどいように思います。

ここ数年は、毎年、目がかゆい程度で済んでいたのですが、今年は、くしゃみは出るし、喉も痛む。(風邪ではないと信じています)

花粉症は、もう少しの辛抱。
余震も、我慢します。このくらいの震度で済むなら。

問題は、原発。確かに、日に日にイライラしてきてます。


「I Love You Baby~福島♪」と何度も口づさんでみても、事態の進展はなし。

勿論、現地で頑張ってくださっている東電の協力会社の方々には頭が下がるのですが。。。一刻も早い施設・設備の復旧を祈ります!!!
 
 

2011/04/09

余震よ、止まれ!!

タイトルは、永ちゃん風にしてみました。
永ちゃんファンには、わかるはず。


昨晩の地震には参りましたね。。。

いったい、この恐怖、いつまで続くのでしょうか?

あの携帯電話の「緊急地震速報」の音といったら・・・怖いのなんの南野陽子でして。。。

たとえるなら、ドラクエなどのRPGゲームで、レベルが低いくせに未知の土地へ足を踏み入れ、
太刀打ちのできない凶悪モンスターに遭遇したときのような気分です。
無論、数回の攻撃を喰らっただけで、DEADです。


昨日は、自分は起きていたので、冷静でした。
2Fで寝ている子どもを抱えて、すかさず玄関へ!(玄関が一番安全だし、すぐに外に逃げ出せますからね・・・)

子どもは、寝ぼけていて、すぐに俺の腕の中で寝てしまいました。


この揺れを知らないでいてくれたので、まずは安心です。


なぜなら、最近、子どもたちも揺れに敏感で、ちょっと揺れただけで、ダッシュで俺の胸に飛び込んできます。

幼心に、3.11の恐怖がトラウマになっているのでしょう。



というわけで、マジで止まっておくれ 余震!!


原発問題も予断を許さないしね。


早く、子どもたちを公園に連れていって、好きなだけ走らせてやりたいよ。


「原発?、余震? もう、さすけないじゃん!」 と早く言いたい!!!



マジで・・・。

2011/03/28

近況

 
地震から、もう半月か・・・。
長いようで、早い。しかも3月も今週で終わりとは。。。

今日、ようやく車のガソリンと灯油をゲットできた。
夕方から30分くらい並んで、普通に満タンを入れることができた。
ここ郡山は、物は普通に手に入る。つくづく恵まれた場所であると思う。
車に関しては、地震以降、オーディオなし・暖房なしを心がけている。
実感していることは、この2つを止めているだけで、かなり燃費が向上しているということ。計算したわけではないが、1.25倍は違うんでないかい。

そう考えると、電気もそうだが、我々は、いかにエネルギーの無駄遣いをしてきたことか!!!
いつかは、車で音楽を聴いたり、暖冷房を着けたりする日が戻るのだろうけど、エネルギー資源を大事にする気持ちは忘れてはいけないよな。
無駄に爆音で音楽を聴くのを、とりあえず止めよう。


今日は、3時半頃、保育園からTELがあり、長男が39℃の熱があるという知らせを受け、急遽、一人で病院へ(半年ぶりに早退させてもらった)。

病院も、普通は20時までなのだが、人が来ないと早めに閉めているらしい。
危ないところであった。16時に病院に着くと、患者はゼロ。滑りこみセーフだったね。

インフルエンザの検査をしたが、結果はシロ。風邪のようだ。
地震以降、子どもたちも揺れに敏感になっている(特に次男)。きっと、疲れもたまっていたのだろう。

そして、俺にベッタリになってしまった。嬉しいが、せっかくいろいろと自分達でやるようになってきていたので、ちょっと残念な気持ちでもある。

まずは、風邪を治して、早く元気になってもらいたい。
と言っている矢先に、次男も微熱が!!!


今回、子どもたちの風邪をもらわなければ、俺の健康革命が成功しているといえよう!! 

そういえば、爪もみをしているせいか、花粉症も去年ほど酷くはないぞ!病院にかからないことも、立派な社会貢献だね。

気合いと、いい習慣の継続、頑張ります!!


写真は、ひたいを長男に噛まれた次男。キスマークのようになってしまった。。。(見づらいですかね)

2011/03/22

大地震

 
忘れもしない。2011/03/11 14:46。
東日本大地震。。。

ようやく生活にゆとりが出てきたので、日記に記しておきたい。

まずは、私、そして私の家族は、全員無事であります。
ご心配くださった方々に、この場をお借りして感謝いたします!!
ありがとうございます!


あの日は、いつも通り、自分のデスクで何かの資料作成をしていた。
すると、周囲の地震予告のメールが一斉に成りだした。

数日前から、大きな地震があったので(今思えば前触れだった)、また震度3~4程度の地震がくるのか!などと高を括っていたら、一気に「ドスーン!」という地雷のような音がして、揺れは徐々に激しくなり、最初はPCのデスクトップを支えていたが、一気に倒れ、気が付けば、周囲の棚が次々に倒れていった。

さらに恐ろしいことに、背後の書庫ロッカーが壁に打ち付けられているものにもかかわらず、倒れてきたのだった。
社長が、「後ろ! 後ろ!」と叫んでくれたことで、俺は九死に一生を得た。

その声を聞くやいなや、机の下にもぐったのだった。(後輩の机ではあったが)
後から見ると、俺のイスや机の引き出しが破壊されていた。1トン以上の衝撃だっただろう。机の下にもぐらなければ、きっと自分がこうなっていたはず。。。まさに間一髪であった。

自分はServer管理者でもあり、地震発生2時間後にはServer室に戻り、主要なserverをシャットダウンした。

Server室も、めちゃめちゃ。
棚が倒れ、Serverもドミノのように倒れているのも多数。

幸いにして、AS400は、ちょっと横滑りしていた程度で、無事にPWRDWNSYSができた。すかさず、翌日にはフルバックアップを行った。(念のため2回。テープが読めなかったことを想定して)


さらにその日は、家族が心配で、全員連絡をしたが、子どもたちを預けている保育園にだけ連絡がまったく取れず。
こうなれば、会社での作業が一段落した後、夕方17時頃に直接保育園に行くことにした! 

すると、子ども達も無事。先に妻が迎えに来てくれていた!!
「何かあったの?」と何食わぬ顔で、チャイルドシートにちょこんと座っていた。俺の顔を見ると、2人とも満面の笑顔。一気に力が抜けた。本当に無事で良かった!!


あれから、10日が過ぎた。

原発の問題など、まだまだ予断は許さないし、これからどうなる!という不安はあるけれど、今回の災害を通じて一番よくわかったこと。

それは、家族こそ、かけがえのない宝であるということ。

1週間近く自宅待機になり、ずっと子ども達とベッタリしていたが、本当に心の底からこの子ども達を守ってやりたい! と今まで以上に思うようになった。

「被災者の方々に対して何かできることはないか」と世間は動いているが、俺が今できることは、まずは自分の家族、特に子ども達に安心感を与えることではないだろうか。

その為に泣けばハグするし、ダブル抱っこで筋肉痛になろうが、なんちゃあ~ない。この程度の痛みは、3日もすれば治る!


今のこの気持ちを忘れずにいよう。

平和が戻り、子ども達が大きくなったら、この地震の話をきちんと伝えよう。
こうして日本は危機を乗り越えたってことをね・・・。