2008/07/10

河井継之助記念館

 
昨日の話ではありますが、去年に続いて新潟県長岡市にあるお客様のところへ出張してきました。
朝早くに出発し、打ち合わせはお昼少し前に終了。

というわけで少し気が引けましたが、お昼休みを利用して「河井継之助記念館」に行ってきました。

急に行こうと思い立ったので、場所もどこにあるのかわかりません。
まずはコンビニで場所を確認。すると、地図に載っていないではないかぁ~!!!

しかし旅のガイド本にて、「河井継之助邸跡」の場所を発見することができました。
長岡駅前から車で約3分・・・。その場所へ行ってみると、あるではないですか! 継之助さんの記念館が!

喜びを噛みしめながら、入館。

入館料は200円。安すぎる!! この安さの理由はなんざんしょ? 
函館のGLAY記念館やサブちゃん記念館は多分、2,000円くらいじゃなかったかしら・・・。

まずは、ボランティアルームで、10分程度のアニメ映像を見せてもらいました。
幼年時代の話、遊学、山田方谷との出会い、小千谷談判、北越戦争、長岡城奪回、八十里越・・・。かなり駆け足で彼の生涯が紹介されてましたが、復習するには、いい機会となりました。

そして、展示品のある館内へ。

いきなり目に飛び込んできたのは、あの「ガトリング砲」ではないですか!!!

複製されたものでしたが、この砲の威力は容易に想像できました。
意外と小さかったですが、初のガトリング砲との対面で、私、大感動であります。

2Fに登ると、・・・・その日、最も感動した書と出会います。
小千谷談判で受け取って貰えなかった書状。

「日本国」という大きな括りで書かれておりました。

一領一国のためではなく、日本国中が協力し、世界に恥じる事のない強国すべし。それでも聞き入れなくば、戦闘もやもなし・・・このような内容でした。

最後まで戦いを避けようとしていたのですね。あくまで中立の立場で・・・。

にもかかわらず、今年初頭に観た「その時、歴史が動いた!」では、長岡を戦火に巻き込んだ悪人とばかりに、河井氏のお墓が傷だらけになっていたのを思い出してしまいました。

自分が河井継之助の存在を知ったのは、去年の終わり頃。
幕末に興味を持って4年程度、正直遅いですが、河井氏を知らずに死ななくて良かったと思っています。

我々は、いろいろな偉人達から多くのことを学ぶことができるのです。

今回は、仕事の合間、少しの時間しか寄れませんでしたが、次回、長岡を訪れる際は、今回いただいたパンフを活用して、くまなく探求できたらと思います。
 

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