2008/11/06

たいぞーがゆく(5)〜鶴ヶ城

  
鶴ヶ城に初めて行ったのは、確か小学3〜4年生の頃の遠足だったかな。
会津の家紋の入った「木刀」を購入した記憶がうっすらあります。

あれから25年以上経ちますが、その間、4回は来ています。
そうなると、今回(11/3)は6回目???(いや5回目かな)


いや〜鶴ヶ城は、福島県を代表する、いや日本を代表する名城です!!!
何度来ても、天守閣から見る景色は美し過ぎますね。
最近、行った白石城や金沢城とは比べられないです。金沢城ほど巨大ではないですが、適度な広さと言いますかね〜充分広いかもしれませんが。

幕末のことに興味を持ったのが、ここ3〜4年なんで、戊辰戦争の時代を意識して城を見るのは今回で2回目。
以前は、学生時代に読んでいた漫画「キン肉マン」の中で、王位争奪戦のリングとして戦いがあったお城というイメージしかありませんでした。
(フェニックスチームの先鋒マンモスマンが、ビッグ・ザ・ボディチームの超人を4人抜き!!。 漫画の世界じゃないかぁい〜!!)

しかし、歴史を学ぶということは大変いいことで、鶴ヶ城に対する気持ちはいい意味でガラリと変わりました。

最近では、TBSのクイズ番組で「糞尿問題」がありました。
あの事件で会津人でもない自分が怒りを覚えたのは、郷土愛からなのでしょうか?

さて、今回の鶴ヶ城訪問。
目的は「御宸翰」と「泣血氈」でした。

企画として「明治戊辰 百四十年展」(平成20年9月20日〜11月16日)が開かれており、その中で上の2つが展示されておりました。

藩主容保公が孝明天皇より賜ったといわれる「御宸翰」。幕末ドラマ「白虎隊」では西郷頼母が持って函館へ向かいましたね・・・。

原文は何が書いているのか、わかりませんが、訳を拝見すると当時の容保公の信用度ははかりしれないものだったのでしょう。展示品は本物かどうかわかりませんが、生で見る感動、これからも大事にしていきたいです。

「泣血氈」、会津の怨念がつまった敷布。しかし、最近は本を読んでいると、降伏の式の時を取り仕切った中村半次郎にも最近は興味を覚えます。彼の男泣きを堪えながらの対応は、会津サイドからも賞賛を浴びたとか・・・。
人きり半次郎なんて言われていますが、実際に人を切った記録も1人しかいないようです(充分ですね・・・現代ならば)。
この「泣血氈」を見たら、何だか時間が止まったようで、呆然としてしまいました。

それにしても、こんなに素晴らしい企画展だったのですが、鶴ヶ城に到着したのが16時過ぎだったので、ゆっくりと見ることができなくて非常に残念でなりませんでした。(見学時間は17時まで)

郡山から車で1時間ちょいなので、近々またゆっくりと、きちんと計画を立てて来ようと思っております。

 

No comments: