2011/03/22

大地震

 
忘れもしない。2011/03/11 14:46。
東日本大地震。。。

ようやく生活にゆとりが出てきたので、日記に記しておきたい。

まずは、私、そして私の家族は、全員無事であります。
ご心配くださった方々に、この場をお借りして感謝いたします!!
ありがとうございます!


あの日は、いつも通り、自分のデスクで何かの資料作成をしていた。
すると、周囲の地震予告のメールが一斉に成りだした。

数日前から、大きな地震があったので(今思えば前触れだった)、また震度3~4程度の地震がくるのか!などと高を括っていたら、一気に「ドスーン!」という地雷のような音がして、揺れは徐々に激しくなり、最初はPCのデスクトップを支えていたが、一気に倒れ、気が付けば、周囲の棚が次々に倒れていった。

さらに恐ろしいことに、背後の書庫ロッカーが壁に打ち付けられているものにもかかわらず、倒れてきたのだった。
社長が、「後ろ! 後ろ!」と叫んでくれたことで、俺は九死に一生を得た。

その声を聞くやいなや、机の下にもぐったのだった。(後輩の机ではあったが)
後から見ると、俺のイスや机の引き出しが破壊されていた。1トン以上の衝撃だっただろう。机の下にもぐらなければ、きっと自分がこうなっていたはず。。。まさに間一髪であった。

自分はServer管理者でもあり、地震発生2時間後にはServer室に戻り、主要なserverをシャットダウンした。

Server室も、めちゃめちゃ。
棚が倒れ、Serverもドミノのように倒れているのも多数。

幸いにして、AS400は、ちょっと横滑りしていた程度で、無事にPWRDWNSYSができた。すかさず、翌日にはフルバックアップを行った。(念のため2回。テープが読めなかったことを想定して)


さらにその日は、家族が心配で、全員連絡をしたが、子どもたちを預けている保育園にだけ連絡がまったく取れず。
こうなれば、会社での作業が一段落した後、夕方17時頃に直接保育園に行くことにした! 

すると、子ども達も無事。先に妻が迎えに来てくれていた!!
「何かあったの?」と何食わぬ顔で、チャイルドシートにちょこんと座っていた。俺の顔を見ると、2人とも満面の笑顔。一気に力が抜けた。本当に無事で良かった!!


あれから、10日が過ぎた。

原発の問題など、まだまだ予断は許さないし、これからどうなる!という不安はあるけれど、今回の災害を通じて一番よくわかったこと。

それは、家族こそ、かけがえのない宝であるということ。

1週間近く自宅待機になり、ずっと子ども達とベッタリしていたが、本当に心の底からこの子ども達を守ってやりたい! と今まで以上に思うようになった。

「被災者の方々に対して何かできることはないか」と世間は動いているが、俺が今できることは、まずは自分の家族、特に子ども達に安心感を与えることではないだろうか。

その為に泣けばハグするし、ダブル抱っこで筋肉痛になろうが、なんちゃあ~ない。この程度の痛みは、3日もすれば治る!


今のこの気持ちを忘れずにいよう。

平和が戻り、子ども達が大きくなったら、この地震の話をきちんと伝えよう。
こうして日本は危機を乗り越えたってことをね・・・。
 

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