2011/11/01

Rising San登山記(3)~赤面山

先週の土曜日10/29に、今年最後のRisingSanとして登山を楽しんできましたよ!

ターゲットは、西郷村にそびえ立つ「赤面山」(あかづらやま)です。


標高は、1701.1m。国立那須甲子青少年自然の家の近くの山。
ついに1000m越えへの挑戦になります。


この日は、会社の駐車場に6時半集合。
俺はギリギリ着いたのですが、すでにメンバー全員集合していました。

ゴルフの前日のおっさんの気分で、全員早起きしてしまったのかな?
俺は前日のLiveの疲れと耳鳴りが酷く、起きるのがたいへんでしたが・・・。

今回の登山メンバーは4名。
1人メンバーが増えました。皆、職場の仲間です。

俺とマスターは30代後半。他2人は20代半ば。
後ほど、この年齢の差以上に、体力の差が歴然としてしまう一日となってしまいますが。。。


さあ、出発です!

郡山南インターから白河インター到着。
そして、西郷のセブンイレブンで水分とおやつを購入して、那須甲子有料道路を目指しました。
ちょっと走ると、旧・赤面山スキー場へ到着です。

ここから山頂を目指すことになります。

本来の登山ルートは、自然の家から長い距離を歩くコースがあるのですが、
今回はショートカット・コースといいますか、旧スキー場を登ると、登山道に合流するというもの。


しかしです!!!!


このスキー場を登る道が、非常に苛酷なコースでして。。。

スキーコース全面に、ストーン(石)が散らばっており、歩きにくく、
さらにスキー場だけにかなりの急斜面。
それが長いのなんの、南野陽子って感じでして!!!(何回同じことを言っているのだ、俺は!)


最初、登る前には、このスキー場の山頂まで行くのに、簡単に「10分くらいで行けちゃうんじゃね?」 なんて言ってしまった自分がバカでした。軽く1時間かかりましたよ!

その間、休憩は3回くらい取りましたか。

20代の2人は、若さにまかせてスイスイ登っていきます。
新入りメンバーが先頭に行くというのも、ライジングサンらしいでしょうか(爆)。

本来ならば、俺やマスターが先導を切る必要があるのですが。。。徐々に距離が開くばかり。
これは、おっさんグループは、オフシーズンの間に基礎体力アップをはかる必要がありそうです。

スキー場の頂上まで来ると、登山道入り口の看板を発見!

ここからは、本来の山道といった感じで、順調に進んでいけました。
メンバー談によると、小学校のときに登った記憶があるとか。
ということは俺も来たことがあるのかな。

那須の自然の家に泊まって、ウォークラリーをやってコースをハズれ、俺が所属するチームがビリになった記憶と、
寝る前に屁をしてしまって「屁、こいたべ?」と皆に責められた記憶しかないからね。

この山道のコースなら、小学生高学年なら問題ないでしょうね。
先生は大変だろうけど。


1時間くらいで、
ついに山頂到着!!!!!!!!!!!!!!!

この日は、快晴で、360℃山、山、山!
素晴らしい景色に、スキー場での苦労はすっかり忘れてしまいました!


人間って、ちょっと前の苦労すら忘れてしまうのです。
日々のちょっとしたイラダチ、不満なんかも、後になればどうでもいいことが
ほとんど。

この感動が山登りを続ける動機、原動力ですよ、ホント。

山頂に到着したのが11時くらい。今回は、お昼ごはんは下山して取ろうと
計画していたので、頂上ではコーヒーのみ。

毎度のことながらマスターに感謝、感謝!
コーヒーを飲んで、山頂を満喫してからは、下山開始です。


あっ
という間にスイスイと下山。休憩はほとんど無し。

ただし、スキー場跡では下山に苦戦!
ついには、俺が転んでしまいました。お尻とリュックが泥だらけに。。。これもまあ、思い出ですね。

1時間くらいでスタート地点に戻って来れました。


ランチは、白河ラーメンを堪能(こちらは、追ってめーらん日記にて)!
体はグッタリしたけど、最高の食事となりました。

というわけで、登山チーム「Rising San」、今年は3回行動できました。
しかも、回を重ねるごとに、メンバーが1人ずつ増えていきました。素晴らしいことです。
山に触れることで、体にこびりついていた変なストレスも、少しは取れたようにも思っています。

来年は、どんな山が我々を待ってくれているのでしょう。

年末には、来年の年度計画を立て、来シーズンに備えようと思っています。
そのためにも健康を維持していかないとですね。
サンキューソーマッチ、Fukushima!!!

2011/10/31

Concerto Moon 「SAVIOR NEVER CRY TOUR 2011」 郡山公演

行ってきました! コンチェルトさんのLiveへ!!
金曜日のことになりますが。。。

金曜、土曜と超ハードな日々でしたが、何と体調も崩すことなく、月曜の今日は出勤できました。
これも最近、飲み続けている「コンクレバン」のおかげでしょうか!?


さてLiveの話です。

個人的に、今年9~10月に参加するLive&講演を、「私的・風とロック」と名打っておりました。

・エコーズLive(9/4)
  ↓
・ジュンスカLive(10/1)
  ↓
・田端さん講演会(10/10)
  ↓
・コンチェルトムーンLive(10/28)


日時と場所は変われど、この2ヵ月間、これらLiveと講演でもっと元気になろうと!!
趣旨は、本編「風とロック」とまったく一緒。もちろん、本編の方にも参加したかったのですが。。。
というわけで、「私的・風とロック」の最終ステージがコンチェルトムーンでした。
最後に、正統派メタル炸裂といった感じです。

その前にオープニングアクトが2つありまして、まず最初がいわきの「コロニー・オブ・メディケーション」さん。
今回で拝見するのが3回目。
個人的には、イケメンのサイドギターさんの表情が魅惑的であり、テクニックとともに注目させていただきました。
プログレ風に曲が展開していくので、どの曲も難易度が超高そうなのですが、みなさんまったくミスすることもなく、最高のプレイを見せてくれました。
あらためて、いつも郡山に演奏しに来てくれて感謝です♪

次の登場は、「BLUEⅢ」さん。
10年くらい前に、何かのイベントで初めてパフォーマンスを拝見し、ブルースリーさんの、はちゃめちゃで楽しいアクションに度肝を抜かされた記憶がありましたが、10年経ってもそれは健在でした!

中でも会場への乱入、観客をダンスさせる(1人1回転)、ヌンチャクなど見せ場充分。
本人いわく風邪を引いてしまい声が出ないとのことでしたが、逆に病み上がりであのステージとは恐れ入りました。
ブルースリーさんが絶好調のときに、再度ステージを拝見したいと思った次第であります。


そして最後の大トリ。コンチェルト・ムーン!!
時刻は20:40過ぎだったでしょうか。

聴いたことのあるプロレスの入場曲(あとで調べたら「ロッキーのサントラのトレーニングモンタージュ」(高田延彦の入場テーマ))に乗ってメンバーが一人ひとり登場。
最後に、新ヴォーカルの久世さんが登場。

コンチェルトのVo.の過去の2人を生で観てきた私ですが、新Vo.は過去最強と思えるパフォーマンスでしたね。
若さもあり(何歳だかわかりませんが私よりは断然若いはず!)、堂々としたパフォーマンス。されに声量もあって、見事でした。

ちょっと残念だったのが、会場の音のバランスが悪く、高音になるとハウッて、ちゃんと聴こえなかったことかな。
前に行ったアンセムの仙台講演のときも同じ気持ちになりましたが、一瞬、鼓膜がやられたかと思ってしまうほど。。。
あのハウリングは厳しいです。もっとも、前に陣取っているのも悪いのですが、やっぱステージは近くで観たいですからね。

ただ、新譜の1曲目「SAVIOR NEVER CRY」のサビを堂々と歌っていた姿には感動を覚えました。あのサビの合唱は俺には無理っす。出ない出ない(汗)。
井上さん時代の曲も、声が合っていたと思います。
あと、ビジュアルについては、俺の中学校の同級生「わたるっちょ」にクリソツでした。
懐かしいなぁ~。元気してるかな!?

ハウリングさえなければ、新譜の3曲目「THE SHINING LIGHT OF THE MOON」や「Lonely Last Journey」はもっと堪能できたのでしょうが、
「NOT BY CHANCE」などのミドルテンポの曲は、ハウリングもなく、楽しめました。
後半の「Alone In The Paradise」「ANGEL OF CHAOS」が聴けたのも良かったです。

Live終演が23時過ぎ。
途中、体が一気に疲労困憊になってしまいました。
歳なんでしょうか?

それもあると思うけど、昼から何も食べずに行ったのも問題ありでした。
「食」って、体にとって重要なものであるとあらためて思い知りましたね。当たり前のことなんですが。
次回は、パンでもおにぎりでも、少しは口に入れてから行くとしましょうか。


というわけで、「私的・風とロック」が無事終了しました。

11月~12月の予定は、まったくありません。
しかしずっと、妻や親にお願いして子どもの面倒を見てもらって俺だけ楽しませてもらってきたので、あとは通常通り、育児・家事に専念しようと思います。
子どもたちにはさみしい思いをさせましたから。

まあ、今のところは・・・ですが。

タイミング次第では、また行きたい!! 
いずれにしても、来年以降ですね!? 


■セットリスト
01.SAVIOR NEVER CRY
02.Dream Chaser
03.THE SHINING LIGHT OF THE MOON
04.NOT BY CHANCE
05.Lonely Last Journey
06.OVER THE FEAR
07.STRAIGHT FROM THE HEART
08.LIVE TO WIN
09.Drum solo
10.RIGHT HERE, RIGHT NOW
11.To Die For
12.It's Not Over
13.Alone In The Paradise
14.ANGEL OF CHAOS
[E1]
15.LAY DOWN YOUR LIFE (TO BE FREE)
16.From Father To Sun
[E2]
17.Concerto Moon

2011/10/10

田端俊久さん講演会 in 船引

今日も素晴らしいお天気。この三連休は文句の付けようのない秋晴れで、気分も良くなりますね、ホント。

そんな中、今日は船引まで講演会に行ってきました。
おとといは登山で、今日は講演。久しぶりに充実した休みになりました。

今日の講演。中村さんの郡山講演のときにいただいた案内で知り、ずっと楽しみにしていて、「田端さんは、いったいどんな人なんだろう?」「俺たち、東北人を叱咤激励してくれるに違いない」などと勝手な妄想をふくらませておりました。

10時講演開始。
午前中の講演なんて、何か素敵です。頭が冴えているうちに新しい学びを吸収できるなんて!!!

田端さん登場。
会場、そしてステージに深々と一例。礼儀がきちんとされている素晴らしいお方。
確かに怖そうには見えますが、それは中村さんの話からくる先入観もあるのでしょうか。真の優しさが溢れんばかりの穏やかな方とお見受けしました。

今日の講演のテーマは、「日本人力」ということでしたが、日本人=忍耐力というのが主題のようで、我々東北人に「忍耐力」の話は釈迦に説法ということで、急遽テーマが「不屈の精神」に変更となりました。


お話の内容は、中村さんからお聞きしていた行商生活の先のお話。
行商は、たった半年だけのこと。行商だけでは億の借金は返せないと。

海の家を任され、その家が台風に流されてしまった話。野菜の競り市場での事件。安売りの八百屋の話など、どれも、すべてが実話。氏が22~24歳のときの出来事とのこと。
「神は乗り越えられる試練しか与えない」とはいえ、田端さんだからその試練が与えられたのでしょうか。困難のレベルは大なり小なりあるにせよ、自分もすべての身の回りの出来事を真摯に受け止め、そのうえで乗り越える努力をしていかなければならない、そう痛感させられました。

そんな田端さんでさえ、心にはいつも「強気の自分」と「弱気の自分」がいて、いつも僅差で「強気の自分」が勝ってきたから、今の自分があるとのお言葉。
講演会の前も心臓がバクバクで、逃げ出したくなるほどだとか。しかし、本気で喋っているから堂々と見えるのだと! 俺もあがり症なのですが、参考になる一言でした。


田端さんからの最後の教えは、「逃げない。愚痴ない。あきらめない」。
これを思考に満たして行動していけば、それが結果、不屈の精神になるんだと。
特に、愚痴の多い自分には、ドンピシャの言葉をちょうだいしました。
感謝の気持ちで一杯です。



最後に、講演終了5分前に、神の演出とも言える震度4の地震が発生!
そんな恐怖の中でも、先生は「こんなときこそ冷静に。しっかりとこの状況を受け止めなさい」的なお言葉をおっしゃっていました。
「何と、人間力の溢れるお方なんだ!」と俺は地震よりもその場面が印象的でした。地震で一瞬、たじろいでしまった自分が何とも情けない。

今日は、素晴らしい先生のお話を聞けただけでも、自分は幸せ者です。
感動です! 目の前のやるべき事を、逃げずにしっかり対処していくのみですね!!!



帰りには、友人と舞木ドライブインにて食事。
欲張って「特製焼肉定食」を注文したのですが、かなり厚みのあるお肉。
次回は、無難にふつうの「焼肉定食」を食べるとしましょう!
まだお腹一杯ですわ。満腹になるだけでも贅沢し過ぎですね。

2011/10/09

Rising San登山記(2)~額取山、大将旗山

今回で2度目の登山。
前回は7/23だったので、2ヵ月以上も間隔が空きましたが、熱意はそのままに昨日10/8(土)に登ってきましたよ!

今回のターゲットは、地元・郡山市の山に決めていました。
放射能の問題もあるので、狙いは会津寄り。

通称「安積山」と呼ばれる「額取山」。そして戊辰戦争の陣にもなったという「大将旗山」。
「なぜ1日に2つの山に挑戦するのか?」ですって!!

それは、山と山を結ぶ道、尾根を通って楽にいけるからなんです。
ひとつの山を登って、下山して、また次の山に登って・・・などと今の自分の体力では厳しいでしょう。
実際、尾根という言葉を知っているだけで、今回が初体験なんですけどね。


さて、当日の朝。
子どもたちを、まずは保育園にお願いしなければならないのですが、何と長男が37.4℃の微熱。体調はよさそうで改めて熱を測ってみると36.9℃。
とりあえず保育園にはお願いすることにしました。まあ、途中お迎えの可能性もあるので、メンバー2人とは別で、自分は自分の車で行くことにしたのですが。
微熱があるのに、自分だけ趣味を楽しむなんて、非常に心苦しかった・・・。


今回の登山入口は、御霊櫃峠を予定していたのですが、震災の影響で車両通行止めということで、急遽、滝登山口に変更!

そこへは、9:30頃到着。途中、サファリロードになり、この道でいいのか半信半疑になったが、迷わず進んでいくと、道路右側に駐車スペースを発見!
すでに3台の車が停まっており、安堵しました。
そして、天候は快晴! 素晴らしい!! 


登山開始。前回同様、登り始めから急で息が速攻で上がりました。
どの山も出だしが難関なのかもしれません。人生やマラソンと一緒ということでしょう。最初の苦しさを乗り越えると、後は楽になるといいますか・・・。

山道は、途中、3~4回、急坂あり。とはいえ、全体的には歩きやすい道で、小休憩を何度もはさみながら、1時間半でまずは、額取山の山頂に到着!!

郡山市を360℃見渡せるという贅沢。絶景です!! 

時間は、まだ11時ということで、食事にはしないで、次の山を目指すことに。

いよいよ、尾根です。

確かに平な道が多かったです。しかし、こちらでも急坂多し。
何度となく、根性を振り絞って、1時間で大将旗山・山頂へ!!!
ついにやりました!!

新メンバーの後輩も、さわやかな笑顔を見せてくれています。
ただ、マスターはかなりグッタリのご様子。ここ2ヵ月、タバコを吸い過ぎたと言っていました。
登山は、自分達の現在の健康状態を計ってくれますね。俺も前回の登山からまったく運動はしていなかったですし、正直、足腰はガクガクです。体力の低下を思い知るいい機会なのかもしれません。

2つ目の山頂でちょうどお昼。

今回は、カップヌードルカレーとおにぎりとゆで卵。
ゆで卵は、もはやチームRising Sanのマスト・アイテムといっても過言ではないでしょう。ゆで卵って、こんなにもおいしいものだったなんて・・・このときは、板東英二氏よりもゆで卵が好きと言える!?


下山は、あっという間。
元も道を戻ったのですが、行きはトータル2時間半で、帰りは1時間半。
あっという間です。
下りで楽だったというのもあり、一人でずっとしゃべっていました。
主に、いやらしい話が中心でしたが。。。内容は書けませんわw


ということで、15時にはメンバーと解散。

買い物を済ませ、保育園に行ってみると元気な子どもたちの笑顔。
良かった!! 風邪では無かったのね。ひと安心だぁ~。


しかし・・・


帰宅し、2人に夕飯を作ってあげようとすると、2人ともいつもの食欲が無い。
どうしたのか、ただ好き嫌いを言っているだけだな、と思っていました。

妻が仕事から帰ってきて、熱を測ると1人は38℃以上の熱!

急遽、20時までやっている病院に連れていくことになりました。


子どもたち、何と親孝行なんでしょうか!!
子どもたちの不調のメッセージにも気がつかず、自分だけ楽しんでしまい、本当に胸が痛い思いです。

土曜日の日中、子どもたちが頑張ってくれたからこそ、お父さんは趣味に没頭できました。どうもありがとう!!!
次回以降の登山は、子どもたちに迷惑が掛からないようにしたいです。
ちょっとでも子どもたちの体調が思わしくないときは、キャンセルするとしよう。

山は、逃げずに待っていてくれますから。
そして、子どもたちがもう少し大きくなったら、一緒に登ることもできますしね。
いろいろと勉強になった1日でした。

2011/10/02

Jun Sky Walker(s) Tour2011「Walk to TOHOKU」郡山公演

昨日のことですが、ジュンスカの東北ツアーの初日の郡山公演に行ってきました!!

今回は、エコーズほど気合いが入っていなかったのですが、行ってみると大興奮。
一気にアドレナリンが沸騰してしまいましたよ!

エコーズ同様、ジュンスカも我々東北人を元気づけることが目的。
震災以降、こういった方々の優しさに触れるたびに、元気というか勇気をいただいております。
「ありがとう!」の言葉しか見つかりません。


ジュンスカは、高校1~2年のときに、よく聴いていました。

「歩いていこう」のCDをトポスの5、6Fで、2割引きで購入した記憶があります。私、いちょうCD世代ですの。(LPは、我々の上の世代の方々ですね)

ジュンスカは、ビートパンクと呼ばれ、ビートロックとパンクを融合した音楽性でした。俺は、ストレートな歌詞、ノリのいいサウンド、まだ音楽を聴き始めたばかりということもあり、ロックというジャンルがとても新鮮だったことを思い出します。

80年代後期、バンドブームと呼ばれ、ブルーハーツ、ジュンスカ、ユニコーン、ブームが当時のバンド四天王と呼ばれているとか・・・。昨日、知りました。

しかし、高校卒業以降、洋楽、とくにHR/HMに目覚めてしまった俺は、ジュンスカとは疎遠になってしまいました。時々、カラオケで歌うことはあったかとは思いますが。。。


それから約12年後の2008年。

たまたま、TVをつけると、ジュンスカの結成20周年・再結成Liveを映像が目に飛び込んできました。

そこで、当時の新曲「青春」を目の当たりにしたのです。

何て、ストレートでジュンスカらしい良い曲なんだ!という印象。
一気に高校時代に気持ちが舞い戻っておりました。シングル「青春」を購入したのは言うまでもありません。

そして3年。震災がなければ、再々結成はなかったでしょう。
来年は本格的に完全復活するとか!! 素晴らし過ぎます!!



というわけで昨日のLive。

会場は超満員。受付番号は280番ということで位置どりは、中盤よりやや後ろ。
仕方がありません。

20分押しで、メンバーが登場!
みんな若い!! とくにヨヒトさん。髪の毛なんてフサフサじゃないですか!


いきなり「すてきな夜空」からスタート!
名曲がたくさんあるから、こんな芸当ができるのでしょう。出し惜しみはまったく無かったですね。

序盤はMCは少なかったですが、後半はカズヤさんのMCも冴え、さらに新曲も2曲披露してくれました。2曲とも新生ジュンスカらしい素晴らしい曲。
新譜もとても楽しみになってきました。

個人的に一番嬉しかったのは、「メロディ」と「休みの日」の2曲が聴けたこと。
名曲中の名曲というのは、いつの時代でも色あせず、人の心に感動のエキスを注入してくれますね、ホント。

約2時間、あっという間のLiveでした。
来年も福島に来てくれるということで、また楽しみがひとつ増えました。

毎日の仕事などで、ストレスはどんどん蓄積されていくわけだけど、こういう非日常を体感することで、上手に発散し、かつ前向きに日常生活を送れていけたら、素敵なLifeになるはずです。

メンバーは、「元気づけに来たつもりが、みんなに元気をもらっちゃった」と言っていましたが、いえいえ、たくさんの元気と勇気をもらったのは私たちの方ですよ!とあらためて大声で言いたいです。声が無くなるまでねw



■演奏曲(順不同。抜けがあるかもしれません。ご勘弁を)

・すてきな夜空
・いつもここにいるよ
・ひとつ抱きしめて
・SUICIDE DAY
・アパート
・風見鶏
・休みの日
・Let's Go Hibari-hills
・シンフォニー(新曲)
・メロディー
・START
・だけど一人じゃいられない
・青春
・歩いていこう
・Rat Race(新曲)
・PARADE
・全部このままで
・MY GENERATION


2011/09/18

クラウドチェンバー君、新馬勝ち!

今年に入ってから購入したキャロ馬「ミスティーミスの2009」、クラウドチェンバー君が、本日、デビューとなりました。

■ 2011/09/18(日) 中山 2歳新馬 芝1800m
http://race.netkeiba.com/?pid=race&id=c201106040405&mode=top


見事、レースセンス溢れる走りで、優勝してくれました!!


チェンバー君は、5月下旬に入厩していたのですが、ヤンチャで若さが目立つということから調教師からは「焦らずじっくり取り組んでいきたい」というお言葉。

よって、6月上旬にはリフレッシュ放牧へ。

放牧先のコメントも、「動きがシックリこない」「動きがピリッとしない」など良いものではなかったので、これは3歳になってからかな!?と正直、思っていたのですが、まさか勝ってくれるとは。。。


厩舎は萩原厩舎。
ロジユニヴァースでダービーを制覇した厩舎。その時のジョッキーが横山さん。

今回、チェンバー君に乗ってくれたのも横山さん。
そんな甲斐もあって、今日は1番人気。

勝利後、ジョッキーからも「今回はメンバーに恵まれた感もある。ただ、競馬の内容を見てもセンスはありますから、じっくり大事に育てていければさらにいい走りをしてくれるはずです。馬をしっかり見極められる厩舎だから任せておけば大丈夫だと思いますよ。」と嬉しいことを言ってもらえました。
次走はいつになるか未定ですが、また横山さんに乗ってもらいたいですね。


キャロットでは4頭目。
4頭中3頭が勝ち上がり(うち2頭が新馬勝ち)、ホント、運がいいとしか言いようがありません。

ラフォルジュルネも、そろそろ復活しそうですし、秋はますます競馬が楽しみになってきました!!

2011/09/07

エコーズ 連帯の日 in 福島

9/4(日)、エコーズ20年ぶりのライヴに行ってきました!!


受付番号が23の俺。OPEN40分前に来ないと順番通りに会場入りできないよ、
と主催者メールにあったもんですから、かなり慌てました。

会場C-MOONのキャパは約250人とあったので、
最後尾に並ぶことになったら、間違いなく前の方では見れなくなります。
23番なら、2~3列あたりに陣取ることができますからね。

妻に子どもたちをお願いできる時間から計算しても、新幹線で郡山を出て、福島駅に到着してから、締切時間まで9分。
駅から会場までは500m。

予定通り、新幹線に乗り込み、会場へ向かいました。
さすがは日本の鉄道、予定通り16:11ピッタリに福島駅到着です。

そこから、俺は走りましたよ。BACKミュージックは、エコーズの「Tug Of Street」。
「走りた~い! 走り続けたい!!(でも、疲れてきたから、走り続けたくない)」

しかし、何と東口に向かうはずが、間違って西口へ走ってしまう失態を犯してしまった俺。
地下道を全力疾走です!! 女子中高生をキャプテン翼君ばりに交わしていく!

結果、会場に到着したのが、16:23。
20分までにつかなければ、番号順に並べないという話。

仕方ない。ルールだからね。と諦めてチケットを受け取ると、まだ会場への整列が行われていないではないですか!!!

16:40くらいになって、ようやくスタッフから「整理番号順に2列にお並びくださ~い!」の声が。

やりました。これで前列確保決定です!
とにかく12分、ほぼ全力で走ったことで、すでに俺は汗だく状態。頑張った甲斐がありました。
結果、3列目に陣取れました。オッケー、オッケー!


余計な話になってしまいました。

肝心なLiveの感想は、いつもベタですが、「超・最高!」。

SEの曲が流れると、目頭が熱くなってきました(ということは泣いてない?)。
周囲のボルテージは一気に上がり、みんなで「ロックンロールは歩く鏡である」のフルコーラスを大合唱! 無論、私も。

さあ、エコーズの登場です! 
20年ぶりに見る生の辻さんは、ガリガリではないですか! ストイックさが伝わってきます。
さらに、みんな年をとったな~と正直思ってしまいました。無論、私も(Part2)。

20年前と同じ曲からのスタート~う~ん、一気のあの日の情景が脳裏によみがえってきました。

最初に2曲を聴いた感想。音も大きく、エコーズがHard Rockバンドのように感じました。
一言でいうと、HEAVY。これがあのエコーズかと思ったほど。

5曲目には、あの名曲「GENTLE LAND」が!! ヒロキさんがアコギを持ち、ゆったり目のAccousticなアレンジでした。
正直、サポートにキーボードがいると聞いていたので、原曲通りのサウンドを期待していたのですが、ちょっと残念。。。
でも贅沢は言いません。人間、満たされると、すぐ欲が出ますからね。いけません。

そして、5曲目のあとに、ベースの音が出なくなるというトラブル発生! その間、辻さんの即興やMCを楽しめて、逆にラッキーでした。

後半、「JACK」、「Someone Like You」など、名曲中の名曲を堪能できて、本当に幸せな気持ちになりました。
本音を言えば、「Dreaming」や「Tug Of Street」も聴きたかったです。 おっと、また欲を出してしまいました。いけません(Part2)。

今回は、激しい曲は極力抑えた選曲にしたのでしょう。
ドラムの勉さんへの配慮だったのでしょうか。


今回、エコーズの歌(歌詞)が、福島県人に俺にとって、
励ましというか、元気づけられた気持ちです。

「愛されたいと願っている・・・」(GENTLE LAND)
「早く誰か気づいて 喉につきつけられたナイフを・・・」(Humming Bird Land)
「Hello 君の底力 僕は応援したい」(Rainbow)
「福島に・・・ 愛をください」(ZOO)


そう。被害者意識ばかりではダメなんだと感じました。
今の現状に無関心にならず、自分の意思で行動していかないとですね。




最後に、会場がとても暑く(ファンの熱気がそうさせたのか)、いつも以上の大量の汗。 何度かヤバいって思って、のるのを中断したり。一瞬、死ぬかと思いました。

バンドはもっと大変だったでしょう。お疲れ様でした!
感動をありがとう!!!


■ セットリスト

SE:「ロックンロールは歩く鏡である」~「Welcome To The Lost Child Club」

01.Warrior
02.My protest song
03.恐るべき子供たちへ
04.Cutting Edge
05.GENTLE LAND(Acousticアレンジ)

(ベーストラブル~辻さん即興~休憩)

06.Humming Bird Land
07.RAINBOW
08.Bad Boy
09.JACK
10.Someone Like You

[E1]
11.デラシネ
12.ZOO

[E2]
13.JACK
 

2011/09/04

いざ、エコーズ Live「連帯の日」

 
9月4日。エコーズ、オリジナルメンバーでは20年ぶりの復活Live。
まさか、エコーズが再結成してくれるとは・・・。


思いおこせば、エコーズとの出会いは高校1年のとき。
中学2年くらいから、音楽(特にロック)に目覚めた俺は、有名なアーティストから聴きこむようになった。時期的には80年代後期〜90年初期。バンドブームもあって、ボウイ、ユニコーン、ジュンスカ、ブルーハーツ辺りを好んで聴いていた。

しかし、何か物足りない。
もちろん、聴いていたバンドは大好きだったし、今でも好きだ。ただ、みんなと同じものばかりを聴いている、そんな自分が嫌になっていた時期だった。
当時は人と比べることが生きがいの若かりし高校生。友達が聴いていないマイナーな、いわゆる通なバンドはないか、レンタル屋(創夢館)やミノヤや新星堂のCDを探索した。

そこで手にした1枚のCDが、エコーズの「Dear Friend」というアルバム。
 
衝撃が走った。まずは歌詞。特に「ZOO」を初めて聴いたときは、「何だ、この歌詞?」と最初は思いながらも、噛めば噛むほど味が出るガムのように、どんどん惹きこまれていったのを思い出す。(ZOOは、2000年に菅野美穂ちゃんのドラマ「愛をください」でリバイバルヒットした曲。もともとは川村かおりさんに提供したのが最初だった。)

エコーズにハマった俺は、過去のカタログをすべてチェック。
「Hurts」という5枚目のアルバム、当時はテープにダビングして、擦り切れるほど聴きこんだ(今はCDを買って、iPodに入れて聴いている)。

そして、高2の秋。近所の奥羽大学の学園祭に何とエコーズが来るというので、幼なじみを誘って、Liveへ。これが俺にとっての生まれて初めてのLive観戦。ノリノリの大学生も衝撃的だったが、それよりも生音のデカさの方により驚いた。

初Live体験で気をよくした俺は、よし、これからもエコーズを応援していくぞ!! と誓ったのもつかの間、何とまさかの解散宣言!!! Liveの数ヶ月後だったような気がする。


であれば、解散Liveだけは見届けよう!ということで、同級生3人と東京へ。
忘れもしない1991年5月26日の日比谷野音。

席は、真ん中あたり。
淡々と演奏していくバンドを見ていて、不仲になってしまったことを高校生ながらに察することができた。1曲終える度に、もう生では聴けないのだな〜と思ってしまい、切ない気持ちになっていた。
最後の「Someone Like You」では、感動で涙目になったことを思い出す。


解散後、数年間は、辻仁成氏のCDを買ったり、ソロLiveに行ったりしていたのだけど、俺の嗜好がHM/HR(特に洋楽)になっていたことで、エコーズや仁成氏の音楽から離れていた。

しかし、心の中では、当時の音楽は永遠である。

復活Live、もう、これは行かねばならない。
子どもの世話もあるのだが、妻のおかげで何とか可能になった(感謝!!)。


20年ぶりだよ。俺もそれだけ歳を重ねてきたのだね!

さあ、今から子どもたちをお願いし、福島市まで行ってくるぜ!!!
 






2011/08/24

手足口病

手足口病なる病にかかってしまった。。。

発端は、子どもの夏風邪。
お笑い芸人の品川さんも今年かかった病気と同じだ。


お盆休みに、家族でいわきか新潟の水族館に行こうと計画していたのですが、その前日に次男が40℃の発熱と嘔吐でキャンセルに。

翌日には長男がうつって、発熱、嘔吐。
2日で二人とも回復し、「旅行は仕方ない、また今度!」なんて考えていた。

しかしながら、次男だけ手足首に赤い湿疹を発症!
念のため、再度病院に行くも、「これは手足口病ではなく、夏風邪の影響ですぐに良くなります」とのこと。
たしかに、数日で傷跡になり、湿疹は消えたといった。

そして俺。
盆休み明け、俺は普通に出勤。異常なし。

しかし、盆明け出社2日目に、自分の体温がどんどん上がっていくことに気づく。19日の昼頃の話。

19日の午後は早退し、帰宅。病院は15時からだったので、それまで自宅で仮眠。。。しかし、5~10分くらい寝たら震度4の地震で目覚める。
気分悪し!!

病院へ行くと、ウィルス感染による夏風邪。安静が一番!と言われ、点滴を90分受けて、子どもを迎えに行き、帰宅。
しかし、病院で39.6℃。帰宅しても39.1℃と体温が下がらず。
この熱、本当に死ぬほどキツかった。子どもの頃から、熱はしょっちゅう出すので、発熱時の自分なりの対処方法はあるだが、今回の熱は異常にキツかった。寒気が酷く、そんな中、子ども達へ夜ご飯を食べさせることができ、今振り返ると、キセキだぜ。


20日(
土)。出勤だが、熱がまだ38℃前半だったため、有休に。
念のため、この日も点滴。午後には36℃代に熱も戻り、オッケー!!と思っていたら、夕方から顔や手足に大量の湿疹発生!! 次男の症状とまったく一緒じゃないかい!! このときはまだ手足口病とは思っていなかった。
体のできものが、「飛び火」のような感じだったので、子ども達との接触にかなり敏感に・・・。

21日(日)。37℃前半の熱。湿疹が痒くなりだした日。
念のため、点滴をやって帰宅。子ども達は母にお願いして、1日安静にしているも、体のかゆみはMAXに!!! 夜は3時半まで一睡もできず。安静にしなきゃならんのに、余計グッタリに。まいった。(写真は21日夜時点)

22日(月)。再度、病院へ。4日連続でありました。
ハッキリとした診断結果は告げられなかったけど、「手足口病」の可能性が高いとのこと。今年は大人が大流行しているんだって! 知らなかった。回復方法は、安静に水分取って寝てろだと。4~6日程度でウィルスは抜けて行くらしい。しかし、湿疹の跡は1~2週間は残るとも。これは見ぐさいぜ!

23日(火)。自宅で安静に。
病院のかゆみ止めの飲み薬が効いて、グッスリ寝れた。新しい湿疹ができた様子もなく、湿疹が固まってきたところもみられる。
しかし、喉の痛みがピーク。何を食べてもおいしく思えない。
この日は、パンや素麺のみを軽く食べた程度。このままでは病的ダイエットになってしまうぞ!

そして今日。24日。今日も自宅で安静に。
もう熱もないし、昨日までの喉の痛みもほとんど無し。
まだ、湿疹跡は酷いが、もうこれで出勤できるでしょう。

基本的には、空気感染しない病気!?とはいえ、やはり休んで正解だったでしょう。今までの育児の疲れはすべて抜けたと言っていいし。


結論。また免疫力アップのための対策を取らないといかん!!

子どもが病気になるたびに、重い病気にかかっていては一家を養える事など不可能です。40歳前、今が自分の体のことを真剣に考えるときなのかもしれない。

2011/08/09

中村文昭さん講演会 in 郡山

 
今週の日曜日に文昭さんの講演会を聞きにユラックスまで行ってきましたよ。

この日は、日曜日。
本来なら私が育児担当の日なんですが、いわきのご両親が見てくれて、行けることに! 心より感謝です。


今回の講演は、震災後ということもあって、いつもテーマとは趣が違っておりました。時間も13;00~15:30の2時間半の長丁場。
にもかかわらず、文昭さんのトークは、いつも以上に輝いており、笑いあり、涙ありのあっという間の2時間半となりました。


今回、一番印象に残った言葉は、

「生きるとは、人を喜ばせること。働くとは、人を喜ばせること。」

いつもの教えでもある「頼まれ事は試され事」も結局は、人を喜ばせるために、どれだけ相手の予測を上回ることができるか? 
仕事に慣れが生じてくると、「この程度でオッケーだろ」と自分で妥当点を見つけてしまいがちです。
これではいけないですね。仕事の評価は相手がするもの。
改めて、そのことを思い出させていただきました。

ちょっとしたPC関連の依頼でも、ただ使えればいいではなく、もっと使いやすく使ってもらうためにはどうしたらいいか、追求していくようにしようと思います。とことん、ユーザーの使いやすさにこだわっていきますよ。


原発が爆発したとき、文昭さんは車中にいたそうです。
ちょうど、長淵剛の歌「SAMURAI」が流れていたそうで、・・・やまとの国から狼煙をあげて♪ 原発の爆発が狼煙に思えたそう。
世界へ対する警笛に思えたとおっしゃっていました。

我々、福島県人は歴史上の人物であると!
200年、300年後の歴史の教科書に確実に載る。今現在は、暮らしを見直し、またすばらしい日本国になるか、あるいは日本が衰退していくかの分岐点(3.11)にある、最後に語ってくださいました。

まずは何かしら、動こうというメッセージ。

たしかに、最近、被曝に対して、あまり神経質で無くなっているのも事実。
家族を避難させない選択を選んでいる以上、今できること、すなわち被曝を抑える努力、そして家族の免疫力をアップさせるための習慣改善をあらためてやっていく必要がありそうです。

何でもいい。何もやらずに問題が起きるより、いろいろやってそうなったら、後悔はしないかもしれません。


今回の講演、本当に来て良かったと思います。
今後の生活を見直す良い機会となりました。
あらためて、中村氏、並びに講演会のスタッフに大・感謝です!!
 

めーらん日記(45) 大須賀


いや~、前回更新したこの「めーらん日記」は何と 2008/12/16。
実に2年半以上ぶりぶりという懐かしさ。

その間、めーらんをすすっていなかったわけではないんです。

マイ・フェイバリット御三家である「味噌屋」「みんなのうた」「楽」、
そして、ランチなどでは「
とくちゃんラーメン」「日吉丸」「山小屋」などには回数は決して多くはないですが、ついつい、自分の贔屓の味ばかりを味わってしまっておりました。

しかし!

これではいけません!!!

はり新規開拓して、新しい未知の味を探求しなければ・・・。
安全パイばかり求めていては、そこに成長はないですから。


とまあ、めーらんにそこまで熱くならなくてもいいわけですが、久しぶりのめーらん日記だったので、ついですね。恐縮です。



今回、新しいお店として選んだ場所は、ややご近所の台新にある「大須賀」。
ここの「辛味噌らーめん」が絶品という噂を聞きつけ、中村さんの講演会の前に、先日、行ってきました。

11時45分。店内到着。
並んでいなくて、ラッキーと入ってはみたものの、結局、座れなくて30分以上待つことに。

12時25分。めーらん登場!!
ここは、太麺ということで、茹でる時間が長く、お待たせして申し訳ありません、などと張り紙がありました。

いえいえ、うまいめーらんのためなら、待ちますよ、待ちますよ。


大須賀では、野菜(もやし)の量を決めることができました。
少、普通、大盛りと3つから。少でも1袋あるとのことで、とりあえず少にしておきました。全体的に量は、他のめーらん屋よりもありましたね。大盛りにするときには、注意が必要かも。


さて感想です。

まずは、麺。
確かに、久しぶりに見る太麺。粘り気のある力強い麺でありました。
なかなかの歯ごたえ。個人的には細麺が好みですが、これはこれでありかも。

そして、汁。
こちらは、辛いのですが、味噌の甘みと絡み合って、絶妙の味を出しておりました。ドロドロしていて、このとろみが見た目の演出もしてくれています。


講演会前で、遅刻しそうになってしまったため、急いで食べることになりましたが、もっとゆっくりと味わって食したい、そう思わせる素晴らしいめーらんでした。

次回は、余裕のあるときですね。

ちなみにこの店の前を結構通るのですが、いつも外に行列ができているのを目撃します。
比較的、夜20時以降なら空いているかもしれません。その辺が狙い目でしょうか。月曜日は休みみたいです。

・汁★★★★★/麺★★★★☆
 
 

2011/07/24

Rising San登山記(1)~権太倉山

俺が主宰する山登りチーム「Rising San」。
チームとはいえ、メンバーは俺を含め、たったの2人。
初めは、こんなもんでしょうね。(メンバーは随時募集中です。)

さあ、Rising Sanとしての第1歩は、白河市と天栄村の間に位置する「権太倉山」(標高976m)。
http://www.asahi-net.or.jp/~qy5s-sozk/gontakura/gontakura.htm

1000m未満の山だから、相当余裕をぶっこいていましたが、これが大間違い。
傾斜は急だし、道は獣道のよう。汗は滝のように流れ、足は徐々に上がらなくなってきました。
本格的な山登りが、今回お初の俺にとっては、「火事場の馬鹿力」が必要になりましたね。
10時半、登山開始。
12時半、山頂到着。


途中、携帯のGPS機能を使って、現在位置を確認しながら登ってきたのですが、電波は勿論不安定。しかし頂上付近はアンテナが3本。
羽鳥湖周辺にDocomoのアンテナがあるとのこと。
しかし、山頂の三角点とGoogleマップの位置がずれていて、山頂までまだ200~300mあるなと思っていたら、いきなり頂上到着!!!

この瞬間、すべての疲れが吹っ飛んでしまいました! 
この快感、初めて味わうと言っていいでしょう。

山頂では、友人が持参したバーナーでお湯を沸かしてくれた。
そのお湯で飲んだインスタントの豚汁と、コーヒーの味は格別でありました。

あとはコンビニのおにぎり。
普段の10倍、美味しく感じることができましたね!

食事の後は、記念写真撮影。
カメラのシャッターを押した瞬間、「緊急地震速報」のアラームが!
あの音を聞くだけで、3.11を瞬時に思い出してしまいます。
岩手で震度5強とは!
山頂ではまったく揺れませんでした。こんなところで本当に止めてほしい。


15時、登山終了(下山)。


放射能問題は、いまだ落ち着いていませんが、陸の孤島・福島県内には、このように素晴らしい自然があるのです。汚染されてしまってはいますが、俺は今後も積極的に行動していこうと思っています。

4~5年後には、息子たちも強制的にチームメンバーになります。
尾木ママの育児本にも書いてありましたが、登山をやる家族の子どもに、いじめなど起きないとのこと。今回登って、こういう体験をした子どもは確かにしないでしょう。

一度、体験することで、いろいろと見えてきました。
不足の装備、どう工夫すれば、もっと登山が楽しくなるか、などなど。


2回目は、9月を予定(次回は、赤面山)。
それまで、街中ウォーキングで、足腰強化のトレーニングをしていこうと思っています。無理せず、できる範囲でね。

山登り、最高のスポーツですぞ!!!

2011/07/06

アンパンマンの歌が素晴らしすぎる

最近、子どもらが日曜の朝に放送中の「アンパンマン」を見るようになりました。(録画ですが・・・)

よって、俺も見るようになったんだけど、それまではアンパンマンと言えば、大学生時代にやったぬいぐるみショーの苦いバイトを思い出してしまって、あまりいい印象がありませんでした。

そのバイトとは、アンパンマンのキャラの着ぐるみで、遊園地などでショーをするというもの。

俺はバイキンマンの師匠である「バイキン仙人」役。
希望は「食パンマン」だったのだが、新入りは出番の少ない役回り。

それが当日、ぬいぐるみの後ろのチャックを閉め忘れて、子どもたちに現実を教えてしまったという大失態をやらかしてしまったのでした。

「バイキン仙人に、人間が入ってる~!!!」と叫ぶ数人の子どもたち。

場所はたしか花巻にある遊園地。


しかし、今考えると、着ぐるみ着て、手を後ろに回せるはずもなく、何であとからこっぴどく怒られたのか、今さらながら変ですよね!! まさに理不尽。
誰かにチェックしてもらい忘れた俺のミスっちゃ、ミスだけどね。


そんな思い出はいいとして、アンパンマンの歌詞、みょーに心に響きます。

まずは、アンパンマンたいそう。

「もし自信を無くして くじけそうになったら
 いいことだけ いいことだけ 思い出せ」

しょっちゅう仕事等で自信を失いそうになります。そしてときどき受ける心無い言葉。そんなときはこの歌の歌詞を思い出します。

さらに、アンパンマンマーチ。

「そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
 たとえ胸の傷が痛んでも

 何の為に生まれて 何をして生きるのか
 答えられないなんて そんなのは嫌だ!
 今を生きることで 熱いこころ燃える
 だから君は行くんだ微笑んで。・・・」


深い!
ここでも「何のために生きる」というメッセージ。
これを幼い子どもたちの無意識に浸透させる目的がこの歌にはきっとあるはず!

俺もいこう!!

妙に膨らんだ顔の膨らみだけがアンパンではないぜ!
俺が真のアンパンマンである。

明日はどうなるかわからん命。

いいことだけ考え、楽しんで生きようではないか!!!

2011/06/24

石ちゃんマン 第37回 「こんなコンビニは嫌だ!」


  

コンビニって便利ですよね。

震災後、周辺のコンビニがCLOSEになり、あたらめてコンビニのありがたさに気づきました。

OPENしていたコンビニの陳列棚が、ほとんどスッカラカンになるなんて、誰が想像できたでしょうか?


まったく関係ないですが、今回の石ちゃん、そんなコンビニのお話です。

はじまり、はじまり。。。ひどい内容だけど。

 

2011/06/17

石ちゃんマン 第36回 「○○友達」



引き続き、「○○シリーズ!!」
どんなモンでしょ?

石ちゃんマン 第35回 「○○交際」



実に、1年半ぶりに書いてみました。
絵心は、相変わらずなし! でも勘弁。

ネタもどうなんでしょうか。
まあ、懲りずに続けましょう。
次回は、もっと短いスパンでね♪

2011/06/11

放射線測定結果(2011/06/11)

今日で、大震災からちょうど3カ月。
近所のTSUTAYAも6/8から再開し、生活は以前と変わりない感じになってきています。
唯一、バンド練習ができるスタジオが市内になくなってしまったことくらいかな!?(左の写真は、現在のKRS)

この3カ月、個人的には、花粉アレルギーから気管支炎という病気にかなり苦しめられました。
今週前半まで、会社でだけ咳が出る症状が続いていましたし(会社内で床や外壁工事が行われてて、埃に反応していただけだったのかもしれません)。

ようやく完治したと言っていいでしょう。
食事や睡眠、お風呂なんかに気を配って、免疫力を高めていく習慣改善の必要性を感じた4~6月でありました。

さて、本題です。

昨日、会社の総務から、小さい子どものいる家庭を中心にということで、線量計を貸してもらえました!

放射能の数値については、毎日、郡山市のWebサイトでチェックしていますが、改めて自宅周辺や保育園はどうなっているんだろうと気になっていたわけです。

6/11だけというピンポイント(点)での測定なんで、どこが高いか、低いかの判定しかできません。本来ならば、馬のパドック検討のように、今回のデキを前走や前々走の状態と比較するのが理想ですが(線で見たい)、贅沢は言いますまい。

測定した結果、結論(私見)。

1:郡山市の測定結果は、真実である(会社で借りた線量計が正常であるという前提で)。自宅周辺は市役所の測定結果と同レベル。
2:車中と外の線量は、ほぼ一緒。窓を無理に閉めても意味なし。
3:公園は危険! 異常に高い。
4:家の中は(木造住宅)、外の約半分(窓際の方が若干高め) 
5:会津方面(大槻)に行けば行くほど、低くなる。
6:鉄筋の高層ビル内は、0に近い。


<<測定結果>> ※単位はマイクロシーベルト/h
・保育園外(高さ1m) 0.7 
・保育園内(高さ0m) 0.5
・職場ビル内(3F) 0.1
・郡山市島・外(高さ1m) 1.0~1.2
・TSUTAYA駐車場(高さ1m) 1.0
・うすい玄関前・外(高さ1m) 1.0
・うすいビル1F内(高さ1m) 0.04
・神田そば内(高さ1m) 0.3~0.4
・自宅1F外(高さ1m) 1.0~1.1
・自宅1F内(高さ1m) 0.5~0.6
・自宅1F内(高さ0m) 0.6
・自宅1F内・窓際(高さ0m) 0.7
・自宅2F内(高さ0m) 0.6
・近所の公園周辺(高さ0m) 2.0~2.1
・近所の公園中心(高さ0m) 2.3~2.5


とまあ、今日の結果は、こんな感じでした。
過剰に反応したくはないですが、自宅内の数値が予想以上に高いのには正直、驚きました。
この数値に関して、自分の力ではどうやっても下げることができません!!
今後も、今までどうよう市のWebで状況を確認していきますが、あまり気にしないでいこうかと。今の自分の人生を楽しむしかないですからね!!!

最初の話に戻りますが、とにかく、家族全員の免疫力を高める。
これしかない! 

と強気に書いても、子ども達が一番心配なんですが。。。

原発の復旧作業で事故がなく、徐々にでいいから、線量が減ってくれていくことを願うばかりです!!

2011/05/28

G1予想 11年日本ダービー

最近、競馬をほとんどやっていない私。

どんどん、最近の馬の名前が頭に定着しなくなっています。
震災によって、福島競馬場が壊滅状態になってしまったことも、競馬離れのひとつの要因かもしれません。

「これではいかん!」ということで、
先々週のブエナビスタのレースはブエナの単勝を買ったのですが、まさかの2着。
牝馬同士で負けるとは!!! かなりのショックでした。
古い話ですが、エアグルーヴがエリ女で負けたことを何となく思い出させてくれました。

そして、ダービー。
いくら最近、競馬に力が入っていないとはいえ、このレースだけは参加しないわけにはいきませんぞ!!

よし、予想だ。

新聞を見てみると、名前を見て、馬体をイメージできる馬は数頭のみ。
数年前は、全頭イメージできたのに・・・。

しかし、ここ数年の競馬界の流れは認識しているつもり。

それは、外人ジョッキーが日本人ジョッキーを圧倒し、JRAの賞金をガッポリと海外へ持ち出されていること。

さらに、その外人ジョッキーの中のトップであるデットーリ騎手が今回来日。
しかも、皐月賞上位馬のデボネアに騎乗するという。。。

デットーリが股がるだけで、他馬と5馬身変わると言われていたことを思い出しました。

さらに、この馬、今回、全頭の中で最も重い。
明日は、台風の影響で、2年前のような泥んこ競馬が予想されます。
ぬかるんだ馬場を器用にこなせる馬かどうかはわからないけど、軽い馬よりは有利でしょう。
脚質的に前にもいけるし、何よりデットーリが臨機応変に対応すれば、2着は外さないはずと予想。

相手は、この馬場では、圧勝の皐月賞馬も全体の信用はないので、久しぶりに総流しをしてみたいと思います。

デボネアは現在4番人気。相手が5番人気以下なら、そこそこの配当が期待できそうです。

というわけで、明日はデットーリさん任せ。
こういう買い方もたまにはいいしょ。お祭りだから。(もちろん、当てたいけど)


◎11 デボネア

馬券:馬連総流し 11→全頭

2011/05/19

矢ヶ崎克馬氏講演会~内部被曝を避けるために

 
長引く病気(気管支炎)が私を苦しめます。

もう1ヵ月です。
病院に行った回数3回。点滴1回。

しかし考えました。病気になっている回数は人の何倍もなっているということは、
私が復活(病気→健康)する回数も人の何倍もあるってことじゃないの!!!

しかも、その復活のたびに、健康の大切さを教えられる。
病院代や薬代はその授業料みたいなもんです。

もう「俺は健康体だぁ~!」なんて背伸びしないで、
「僕は虚弱体質なんよ。それでも何度でも立ち上がる!」という考えで行きましょうかね。


というわけで、おとといの話。

いつまでも病気で寝てばかりもいられないので、
そろそろ行動していこうと思い、郡山カルチャーパークで行われた放射能セミナーに参加してきました。

タイトルは、「矢ヶ崎克馬氏講演会~内部被曝を避けるために」。


母はお腹に子どもが宿ってから母になると言われます。
対して父は、産まれてから子どもとの触れ合いを通して、徐々に父親の自覚が出てくると言われます。

まさに私もそうで、わが子ももうすぐ2歳になるのですが、
最近の子どもたちは、いつもニコニコして、意味不明の言葉を話し、とても愛おしくてたまりません。

最近では、「お父さん、どの人?」と聞くと、満面の笑みで私を指さししてくれます。
人の顔に指さす行為は、基本的にはタブーですが、まあご愛嬌ということで・・・。

そんな大切な子どもたちの将来が黄信号であります。ここ福島県では!!!

しかし、自分でコントロールできないものに、感情を激しく揺さぶられても仕方のないこと。
できることをやるしかないのですが、放射能に関する知識など、ほとんどゼロ。

よって、まずは専門家の話を聞くのが一番と思い、講演会に出掛けたわけです。


狭い会場が満員以上になるほど参加者がたくさんおりました。
それだけみんな危機感を感じている証拠。


話のまとめとしては、「内部被曝のほうが怖い」ということ。
国が言っている年間限界被曝量20MmSvは、外部被曝のみを考慮しているという。
しかも数値の引き上げは、政府の都合に合わせてのもの。何を信じていいのやら。

しかし、地元を離れることはできません。
決定打となる打開策は聞けなかったけど、今、我々にできることは、知恵を出して放射能から防護することだけ。


例えば、

1:マスクをする。(小さい子どもは難しいですが)
2:帽子を被る。
3:長袖を着る。帰宅時はマスクをしたまま埃を払ってから家に入る。
4:無駄な外出をしない。
5:野菜を良く洗ってから使う。お湯でゆがけばもっと効果があるそう。
 (ただし野菜が放射能物質を根から吸い上げて内部汚染されているものであれば、廃棄するしかない)
6:日本古来の食物をたくさん採る。(豆、わかめ、昆布など)


最後に、講師の方から、非常にいい言葉をいただきました。
講師が幼い頃はとても貧しく、母一人に育てられたそうです。そんな中、氏が新聞配達に出かける際に母が言ってくれた言葉が「艱難汝を玉にす(かんなんなんじをたまにす)」だったそうです。

人間は苦労を乗り越えていくことで玉が磨かれるように人格が練磨され、立派な人間になるという意味のようです。

とてもいい言葉です。
福島四重苦の苦労を乗り越えるのは簡単ではありませんが、気持ちを強く持って行動していこうと思っています。
 

2011/05/06

気管支炎

 
子どもではなく、私がかかりました。。。気管支炎。


前回の日記で、花粉症による咳が止まらないことを書きましたが、
それがだんだんと酷くなり、高熱も加わって、結局、気管支炎にかかってしまいました。
峠は越えたと思うんですが、3週間以上も咳が止まらないと、「俺、大丈夫?」と不安になってしまいます。
地震後、気を張って何とか踏ん張ってきたのですが、ついに緊張の糸が切れてしまったのか?


去年のGWも、那須アウトレットから帰ってきたら、高熱で1週間寝込むという失態をし、今年は気管支炎とは。。。

家族サービスは、5/4だけ何とか外出できましたが、それ以外は家族に迷惑をかけっぱなし。


今回の病気で、とことん気持ちが沈みました。

健康になるために、あれこれ考えて実践してきたのですが、効果無しとはね(爪もみ健康法など)。
まあ、3ヵ月くらいでどうにかなるとも思っていませんでしたが、前回の1月の風邪から、あまりにも期間が短すぎ。


まだ咳は少しあります。
酒を飲むと症状が酷くなるので、しばらくは禁酒します。


しかし、いつまでも沈んでいてはいられない!!
長い人生、こういう1年もあるでしょう。

「俺は、健康体だぁ~!!」などと無理に肩の力を入れないで、自然体で健康のための習慣は続けていこうと思います。